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娘とともに自分を見失いがち。
と、その1ではついばかなことを
かきましたが
『ぐるりのこと。』は
自身のうつになった経験から「希望は人と人との間にある」という答えを導きだした
監督の姿勢が、現在のぬまぶの状況にガツンと響いたんだろうと思います。
妊娠して、身体が思うようにいかなくなると
「他の人は皆、きちんと生活しているのに
私だけ生きる資格無し」とか思いがちなんですよ。
「生きる資格」とかいう言葉を使うこと事態ナンセンスだと頭で分かっていても
心がもやもやしてしまうんですなー。
木村多江の奥さんも
「ちゃんとしたいのに、ちゃんとできない」と言って
泣いてましたが
こういった落ち込み方をする人って、
客観的にみて、ここ10年位で急に増えたような気がするなー。
ひとつ「上手くいかない」と全てが将棋倒し的に「悪く」見えるようになってしまい
なかなか抜け出せなくなる循環に脚をとられがちな気がする。
精神疾患の種類と数は時代によって劇的に変化しますが
鬱という心の風邪が流行るのにはやっぱり
「わたし」を貫く無言の眼の存在というか、
社会的な枷のありかたにも問題があるのだろうよ、と思う。
で、
映画のなかで木村多江の奥さんは絵を描くことによって再生しますが
その一方で、リリーさんの法廷画家という職業を通して
個人の物語に収束されない遠景としてここ10年の様々な事件がかなりリアルに描かれておりました。
連続幼女誘拐殺人事件、地下鉄サリン事件、文京区幼女殺人事件・・・など
それらの法廷のシーンを観ていると、ぬまぶは何かこう、心のウラッカワをガリガリされる気分になった。
しかしそのうちになんだかんだで音楽が流れて、エンディング。
涙を流したのでなんとなくスッキリして映画館を出、
駅に向かったらば
連続幼女誘拐殺人事件のMの死刑が執行されたというニュースがスポーツ新聞の見出しが目に飛び込んできた。
一番最初に持った感じたのは
「ああ、執行されてしまったのか・・・。
・・・しかしこれで本当に終わったのだろうか?」
という虚脱感と疑問。
それからやっぱり、心を爪でがりがり引っ掻かれるような落ち着かない気持ちが再びやってきた。
それは何かというと「後ろめたい」気分なのだね。
子供の頃は「自分が被害者になったらどうしよう」
妊婦の現在は「娘が同じような被害にあったらどうしよう」と単純に怖れる一方で
わたしは、こうした現実のまん中に子供を産む事を「後ろめたく」思っている。
通っていた編集部でMの手記を扱っていたこともあって、なんとなくその存在を近く感じていたこともあるけれど
偶然というのは重なるものでこのとき
わたしのかばんには大澤真幸の新刊『不可能性の時代』が入ってたのだな。
★★★★★
・・・・とかなんとか書いて
「続きうまくまとまらないなー」と困ってたのですが
ちょいと身体的な理由でとてもそれどころではなくなってきてしまいました。
(またフェイク陣痛かもしれないけど)
とにかくコトを済ませねば。
想い悩んでも時間は待ってくれぬ。
案ずるより産むがやすし
だといいなあ。
落ち着いたらまたご報告します。
いってきまーす。
やってきまーす。
管理人のみ閲覧可
よぶさんの念も入ってたのネー!
先日、乳腺炎というものになってしまったのですが
秋飛行さんに頂いた「冷やしま専科」がものすごい役に立ちました!
ありがとうございます。
いやぁ、まだまだ「母」の自覚には至らなくて
目を覚ますと赤ちゃんがいて
「あれあれ、このかわいい子はどこから来たのかな?」
と不思議に思う毎日なんですわ。