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6年ほど前、妊娠ブログを適当に書き散らしていたぬまぶんが、 その後、育児の傍ら制帽学校に通い帽子屋修行を始めたその後の日々です。
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ぬまぶん
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東京都内に住む30代かあちゃん。
娘とともに自分を見失いがち。
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日本てぬぐいを組み合わせてじんべえをつくりました。
バイアステープは家になかったので豆しぼりをナナメに切って代用。
今どき、ひょうたん柄のツギハギってのも冴えなくていいな。ふっふっふっ。
文化出版局刊「愛しのベビーウェア』という本を見てつくりました。

気がつけばスッサン予定日まで1ヶ月を切り
正規産の週数にはいりましたので
あんまり遠出をすることも無くなり
なんとなーく間伸びした日々が続いておる。
夫さんが自宅作業をしている日ならば
部屋のなかにある防音室をガバッと空けて
「アタシ!彼と寝たわ!
愛されたの!
このお腹を見て!これが証拠よ!」
などと叫べば
「なにぃー?おまえー、あんなうす汚くて臭いどら猫のどこがいいんだ!
目を覚ませ!この、あばずれ!バシッ(平手打ちのまね)」
と近所の野良猫と我々夫婦の三角関係ドラマごっこに夫さんも
適当につきあってくれたりして、余計なことも考えないのだが
ひとりで日をすごしていると
だんだんセンチメンタルになってくる。
ヨツンバイになって床掃除をすると安産になるというので、
雑巾がけを済まして一息つき
せいけつな部屋に黙って座っていると
なんとなく、しんしんと、奇妙な孤独に身体ごと浸されていくのが分かる。
私はラヴェルの「マ・メール・ロワ(マザー・グース)」という曲を
ピアノ独奏で聴くのがすごく好きなのですが
今日もこれを聴いてひとりでうー、うー、うーと泣いていた。
はじめはポロポロと滴のようにピアノの音が落ちてくるのが
展開し扇のように曲が現れると、私は自分の記憶の
最も古いあたりにつれ戻されるような気がするよ。
親の庇護にあって、図式的にはそうでなかったはずなのだが
ものすごく孤独だった少女の頃を
思い出すのだなー。
お腹のなかでは耐えずアカゴがもくもく動いていて
一人以上の存在になっているはずなのだが、そういった身体的な充実感が
増せば増すほど泣き笑いを同時に起こす感情の波にゴーと襲われる。
嬉しいのとも違うし寂しいのとも違う。なんなんでしょうか?
しかし、いつまでも家でレコードかけてひとりで泣いててもしょうがないし
体重も規定オーバー気味なので近所の図書館までウォーキングに出かけることにした。
図書館へ続くいつもの散歩コースを10分ほど行くと
「貝淵商店」というとても好きな魚屋がある。
ほぼ毎日営業しているのだが一度も魚を買ったことはない。
コレハただ近くを通りかかって店主とその奥さんとその友人達を見るのが楽しい店なのだ。
貝淵商店は大通りに面した2つぼほどの店で、
道路にはみ出す程立派なガラスの魚ケースと天井まで積み上げられた木箱
が並んでいるのに、中はほとんど空っぽで、だいたいいつも刺身が何サクとか干物が
少し入っているだけだ。
天井からはいろいろなものがぶらさがり、店の周りにならべられた発砲スチロールの箱に植えられた
さまざまな植物が狂ったように花を咲かせている。
で、店主と奥さんと、その友人と思われる人(いつも誰かしらいる)達も丸テーブルごと
道路にはみだして、降っても晴れてもお茶を飲んだりおしゃべりをしているのだ。
ちょっとしたサロン風。
いわゆる「お商売」をしている姿は一度も見たこと無いなあ。
今日はぼんやり柱にもたれかかる奥さんの横で店主がスケッチブックに向かっていた。
長い銀髪を無造作に伸ばした痩せた初老の店主にスケッチブックは良く似あう。
何の気なしの通行人のふりをして横目でちらっとなかみを覗いたら
筆ペンで
「ちはやふる」
と縦に書きつけていた。

それを見て満足して
さらに
ぎんぎんぎらぎらの
日差しの下をひとりで歩くのだが
やはりセンチメンタルになってきてどうしようもない。

皆と遊んでいたはずなのに
気がついたら誰もいない公園でひとり一輪車にまたがって
5時のサイレンを聴いていたこととか(秋だった)

押入れの中に入りこんで懐中電灯で遊んでいたら
突然たまらなく恐ろしくなって
ぶるぶる震えながら這い出したこととか

原初的な不安と孤独が蘇るのだよ。
なぜそれを今ごろ頻繁に思い出すのだろう。
いまの配偶者とであってからはとんと忘れていたのだけれどなあ。

思うに、
アカゴを胎内に宿す妊婦はさまざまな文系分野で
母子密着イメージのモデル、融合のモデルとされるけど
母子一体の理想像ってのは
観念的なものにすぎないんじゃないかなあ。
あくまでも「子」の目線から見た理想の母親像
もしくは
母親のナルシシズムをそのまま刷りこまれた息子の幻影なんじゃないかしら。
実際子宮のなかに子供がいる状態になっても
私は万能感など感じないし、
聖母や海のように偉大な存在にコネクトしてしまうわけではけっしてなく
むしろ子供の頃に戻ってしまうような不安と孤独感にサイナマレテイル。
私自身もかなわないノスタルジーに囚われたままでいるなあ。ここんとこはとくに。
これがマタニティ・ブルーというやつかしらん。
その割には詩的だなあ。

わしのアカゴもあとヒトツきでその、最初の別離の刻印をきざまれ
やがて同じ類の孤独を抱えるようになるのだと思うとせつなくてしようがない。
だとするとなんとはかない時間のなかにわたしたちはいま生きていることよ、
やっちまったなあ
と泣けてくるんら。

なす術もなくうろうろと歩き回り
図書館であんまり読む気もない本を借りて
帰り道で再び貝淵商店の前を通ると
夕闇のなかで店主がギターを弾いていた。
それが、アア、AmとAmひたすらざんばらざんばらと繰り返されるだけの音楽なんだよ。
私は本日二度目の涙を手でぬぐいながら、がに股でおうちに帰った。
帰るしかないもんね。
kaibuchi.jpg


  貝淵商店のおやじ
 

 

 

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無題
むしろ子供の頃に戻ってしまうような不安と孤独感にサイナマレテイル。
とか
わしのアカゴもあとヒトツきでその、最初の別離の刻印をきざまれ
やがて同じ類の孤独を抱えるようになるのだと思うとせつなくてしようがない。
とかものすごく共感。
あずみ妊娠中はよくグレングールドのピアノやラジオを聞きながら昼寝してしまって目が覚めては泣いていたなあ。

関係ないけど、うちのパソコンではこのコメント記入欄が文字化けしていて入力したものが確認できないわ。
もんあや 2008/06/22(Sun)22:36:36 編集
Re:無題
>あずみ妊娠中はよくグレングールドのピアノやラジオを聞きながら昼寝してしまって目が覚めては泣いていたなあ。

あー、私はなぜか妊娠してからグールドが聴けなくなったんだよ。これは不思議だった。
特にゴルドベルグとか、聴いてると頭狂いそうになるというか・・・。
なんぜだろう?しかし、感性変わるよね。

>関係ないけど、うちのパソコンではこのコメント記入欄が文字化けしていて入力したものが確認できないわ。

微妙に文字化けしてるわ。でも意味は伝わってるわ。
2008/06/23 14:53
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