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6年ほど前、妊娠ブログを適当に書き散らしていたぬまぶんが、 その後、育児の傍ら制帽学校に通い帽子屋修行を始めたその後の日々です。
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娘とともに自分を見失いがち。
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普段はあまりスピリチャルだとかオカルトめいたものには惹かれない性なのだが

何故か妊娠が判明する前後に見た夢が妙に心に残っているのでそのメモ書きをば。

 

妊娠8ヶ月に入る現在から思い返せば

私の妊婦生活の3分の2はずーっと「なんか具合悪い」との闘いだったなあ、と

総括される。

判定薬で反応が出た時には既に体調がおもわしくなかったです。

身体全体が重だるく、何をしても通常の3倍くらい疲れるので、会社から帰ってきたら

すぐに毛布にくるまって居間でも土間でもどこでも転がってはうたたねしていた。

で、明日あたりに病院行かなくちゃなー、と思っていたある休日に半睡半醒でみたのが以下の夢。

 

わたしは、平地続きでスイスイ行かれる近所の駅へと自転車で向かっていた。

時節は5月か6月の雨上がりの夕方で、湿っぽくて暖かい空気がもったりと街全体に流れている。

住宅地を抜けようと角を曲がったところでものすごく大きなガジュマル(と思われる)樹に遭遇。

生い茂ったみどりの葉っぱが周りの家屋を包み込むそれ一本だけで森のような立派な樹。

それが地面から水を吸い込み生い茂ったみどりの葉の間からぶわーっと発散させているのだ。

わたしは滝のそばに立った時のようなよい気分になった。

で、その横には木造の古い二階家が枝に抱えられるように建っていて、これまた木で出来た

素朴な看板がかかっている。字を読むとどうも助産院らしいのだ。

あれ、こんな所に助産院が。知らなかったなあー。

家から近いし丁度良かったと思い、私は中に入って行った。

軽い木の戸を引くと呼び鈴が音をたてたが誰も玄関に出てくるひとはいない。

建物のなかは吹き抜けの大きな一つの部屋で、板の上には暖色のカーペットが敷いてある。どこからかポコポコと、太鼓の音や、さらさらと水の流れるような音(誰かがレインスティックを演奏しているのかと思っていた)、木の風鈴の鳴る音などがきこえてきて原始的な懐かしい雰囲気。

つくりつけの棚には素朴な木彫りの像が並べてある。つくりは古いがよく手入れの行き届いた清潔な部屋である。奥の方に細い2階に続く階段があったので私は靴を脱いで上っていった。

狭く暗い階段をのぼきると一階と同じつくりの部屋に、数人の老女ともう少し若い壮年の女性がくるわ座になっていた。

彼女らはそれぞれ個性的な布を頭や腕や腰に巻いていて、肌の色も眼の色もあいまいで、皺の刻まれた顔はそれぞれどこの国の人なのか良くわからなくなっているのだが、全員が全員経験に裏打ちされた知性に洗われたような眼をしている。

彼女らが一斉にこちらの方を向くと、私は「ああ、こんな立派な人達の視線を浴びてしまっているのに、内容のない人間で恥ずかしいなあ」と恐縮した。

そのうちの一人が「こちらへ」と案内するので私は上着を脱いで部屋の奥の方へと進んでいった。

そこには体重計のような台が置いてあったのだが、その丸い計測盤の部分がふたまたに分かれて丁度おなかをあてる形になっている。

私はその部分に自分のお腹をあてた。sanba.jpeg.JPG
少し不安な気がしたが、案内してくれた老女の方を見ると「サァ、行け!」という表情をしている。

意を決して眼をつむり、子宮を支点にして出染め式の要領で私は「ハッ」とバランスを取った。

するとぐぃーんと計測台の支柱が伸びて私は天井すれすれのところで「ひこうき」のポーズを華麗に描いていた。ちっともお腹に負担はかからない。私は軽やかで晴れやかで伸びやかな気持ちになった。老女達はやんややんやの拍手。

「いやあー、これはいい子が産まれるよ!」「良かった良かった」と口々に話しあっている。

あー、やっぱり妊娠しているのねとわたしはひこうきのポーズのまま確信したのだった。

・・・

 

妊娠すると妊婦は睡眠の質が変わるらしく(具体的にはノンレム睡眠が減りレム睡眠が増えるそうです)

浅い眠りのなかでやけにはっきりした夢を見る事が多いのですがこの夢は、その後数々遭遇することになる奇妙な夢の群生の第一弾となるものだったので

やけに印象に残っているのです。内容的にもデタラメっちゃあデタラメなのですが奇妙な多幸感に包まれていたので、その後の生活で心身の不安に襲われた時にはよくこの夢の内容を思い出して自分のこころをなだめていた。夢の内容を現実と結びつけて現実をなんちゃらしようとかは思わないのですが、わたしの場合夢の内容が実生活に占める割合も大きいのだなあということを最近良く思います。

夢のなかで、老女たちが「仲間」として応援してくれている雰囲気がとても嬉しかったのでありますが、彼女達は果たして経産婦だったのだろうか?

これに関してはなんだか気にかかっていることが一つありますのだな。
それはある女性カウンセラーの知人の
悩みについてです。

彼女はおもに「女性問題相談」というのを受ける仕事を公的機関でしているのですが、「女性問題」といってもどこからどこまでが女性問題なのか線引は難しく、実際、深刻なDVの相談から嫁姑問題まで幅広くいろいろ対処しているようでしたが、自身も不妊でたいへん悩んでいたんだな。

その人に、どうして子供を持ちたいと思うのか聞いてみたらば、経産婦の相談者に

「あなたのように出産も経験していない人に私の悩みが分かるわけが無い」と非難されることがとても多く、「そう言われるとね・・・本当にどう返せばいいのか分からなくなっちゃうんだよね・・・」と答えた。

でもさ、裏を返せば不妊で悩む女性に

「子供が授からなくたっていいじゃない」と言うべき局面も必要なはずなんだがな。

そんなにも子供を産んだ女性と産まない女性の間には決定的な距離が・・・知性も乗り越えることの出来ない距離が出来てしまうもんなのだろうか?

男性は男性であってヒエラルキーはあるだろうけれど分断はされていないよね。女性達はなんで文化的・また身体的な理由によってモザイク状に分断されているんだろう、とずっと疑問に思っている。歳とった女たちが性を謳歌する若い女性を必要以上に非難したり、ね。年取った男が若い男性の性を非難することはあんまりない。それどころか謳歌できるようにいらんところに連れて行ったりする)

働いていても既婚/未婚、生理痛が軽い/重い、年齢の違いなどで、随分つきあいが難しかった。母親世代を見てても主婦と、働く女性の間の溝って大きかったよなあ・・・。

これから自分が子育てに埋没していくと、これまでの女ともだちとの関係も変わっていくのかな?とちらっと想像してなんとなくサビシイ気分になったりもするのだが

しかしまあ、あの夢は夢ではあるんだけれど、なんだか希望めいたものを感じさせる雰囲気だったので大切にしたいと思ったのら。

いろんな哲学者が「女性どうしに友情は成り立たぬ」とかしたり顔で言ってるけどさ、難しいけどなんか出来るんじゃないか、という希望をちらっと感じたのら。

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