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6年ほど前、妊娠ブログを適当に書き散らしていたぬまぶんが、 その後、育児の傍ら制帽学校に通い帽子屋修行を始めたその後の日々です。
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プロフィール
HN:
ぬまぶん
性別:
女性
職業:
鬼在宅ワーカー
趣味:
読書
自己紹介:
東京都内に住む30代かあちゃん。
娘とともに自分を見失いがち。
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まだ結婚する前からちょくちょく夫さんは、私が妊娠したり出産する夢を見ると言っていた。
「ぬまぶが、出産するのに立ち合ったんだ。
結局、産まれてきたのはネコ(もしくはカエル)だったんだけど、
ああ、とうとうぬまぶも母になったんだと感動したなー」
などと寝起きのもやもや頭で感慨深げに話しているもんだから、
てっきり、現実でも出産に立ちあいたいのだとばっかり思っていた。
(なんで私が産むのがネコとかカエルとか人間じゃないものなんだ、
という問題については話がややこしくなるのでほっときます)
しかし、実際に立ち合うか立ち合わないか決定する局面に来て
今一度、尋ねてみると
「うん、立ち合うョ」
と天才バカボン顔で坊っちゃん風にうなずく夫さんの態度には、
なんだか不透明な部分がある、と私は思った。
「立ちあいたいの?」
「うーん・・・でも、その方がぬまぶもいいでしょ」
「そうじゃなくて、コバヤ(夫の名)の意思、欲望として立ちあいたいかどうかだよ」
「そうねえー?」
表情は変わらないもののなんだかのらりくらりしている。
ゆ・ら・い・で・い・る・の・か?!と不審に思ったので
去年アカゴの産まれた知り合いの超子煩悩な居酒屋店主にどうだったか聞いたらば
「そんなん(分娩室なんか)男の行く場所じゃない」
という酷くシンプルな答えがかえってきた。
えーっそうなのか。
もし私が男性だったら絶対立ちあいたいと思うだろうと想像し、
当然男の人もお産に参加したいものだとばかり思っていたので、驚いて
今度はインターネットの某掲示板で「立ちあい出産経験した男性のスレッド」を覗いてみた。
すると、
確かに「素晴らしい経験だった。立ちあって良かった」という信憑性のある意見も
3割位あるにはあるのだが、
「妻の前では「感動した」と言ってるけど
実は何がどうって経験でもなかった。男同士では話題にも上らない」
という意見がわりと目についた。全体の6割くらいはこんな意見だという印象をうけただ。
へええー、だ。
私はアホみたいに、夫婦で力を合わせて出産という一大イベントを乗り越えて
「親の自覚」に達する、というスゴロクみたいな台本を思い描いていたのだが
一つの経験に対する人間の感受性が多様なのはあたりまえか。
やっぱり頭お花畑妊婦なんだな。
戦争を経験した世代の話を聞いていても
ある意味教科書通りに、戦争の悲惨さを正面から説いてトラウマや平和を主張する人もいれば
ものすごい事を体験しているのに本当にサラっと興味のなさそうな人もいるしな。


先日
帰宅がひとりで遅くなってしまい
妊婦が夜道をふらふらするのも危険なので駅からタクシーを利用した。
休日なのに割と混んでいた電車で人に揉まれた後だったので
私のぶわぶわしたお腹を見て
「あらー、おめでたですかー。良かったですねえー。」
と優しい言葉をかけてくれた運転手さんにぬまぶはほっとしてつい心を許した。
「初めてのお子さんですか?いやあ、子供はいいですよー」
と言われて
エヘヘ、アハハそうなんですー。なかなか出来なかったんスけど
はずみで授かって夫もよろこんでるんですー。などと積極的に会話していた。
それで、今日はー、夫のライブに行ってきたんですよー、あっ夫は音楽やってるんですけどー
出産したらなかなか行けなくなるしー、などといらんことまでしゃべっていた。
優しいおじいさん声で
「じゃあ、産まれてくるお子さんも才能がある子かもしれないですねえー」
なんて言われれば
いやあ、天才ならいいんですけど、中途半端に芸術や文学にかぶれると不幸になるから、
あんまり音楽や文学にはふれさせたくないんですー
とかさらに適当なことを調子に乗ってしゃべるわたし。

「いや、本当に子供はいいですよ。子供がいるからアタシも頑張ろうって思うしねー」
「あらー、お孫さんいらっしゃるんですか?」
「いや、孫はまだですけどね。いつが予定日ですか」
「いやあ、あと1ヶ月半で産まれる予定なんですけど
ビビってしまって。一人で産むのは怖いので
夫さんの仕事の都合が立ちあいにあえばいいんですが。」
と言ったとたんに
ふと、車中に奇妙な沈黙が訪れた。
あれ?と思ったがちょうど家の前についたことだし、
お金払おうと思ってメーターを覗いたら
運転手さんはゆっくりと振り返り、低い声で言った。
「・・・インポになりますよ。」
「・・・・・・。」
untensyu.JPG帽子の下から覗く髪は総白髪だったし、ずっとほのぼのしたこと言っていたから
おじいさんだと思っていたのに振り返った彼は意外に若く、50に手が届くかといった雰囲気で
白木みのるのような顔をしていた。見開いた、充血した目をぬまぶは怖ヒと思った。
「・・・・あなた、これは余計なお世話かと思いますが
人間の出産てものはねえ、ウマやウシとは違う」
「はあ・・・。」
「血も信じられないくらい沢山でるしねえ、
胎盤なんて!あなた胎盤見たことありますか。
あんなもの!6キロはあるかな(注・胎盤は6キロもありません)
こんなですよ!(と手を広げる)
特にあなたのだんなさんは音楽をやってるような繊細な人でしょう。
あんな恐ろしい経験に
耐えられる訳が無い!」
「・・・立ちあい、なさったんですか?」
「立ちあいどころか!
アタシがとり上げたんですよ。アタシが!家で!病院に間に合わなくてね!」
それからはすっかり彼の独壇場で
ぬまぶは延々、彼の家のダイニングの
アカゴがズルズル出てくる血の海の、白熱の、スプラっター話を聞かされた。
というか、もうとっくに家の前についてるんだが、
20分以上そんな話していていいのですか?個人タクシーじゃないみたいだけど、
業務中なんじゃ・・・。
ぬまぶはだんだん不安になったので
「うーん、うちも二人は子供欲しいのでそれは困りますね。
もう一度考え直してみます」
と途中でムリヤリ割り込んで言ったら
「そうそう、そうした方がいいですよ」
と言ってやっとお金を受け取って開放してくれた。

そこまでして彼が伝えようとしてくれた事は何だったのだろうか。
結局、彼はインポテンツになってしまったということなのだろうか(それは聞けなかった)。
やっぱりゼムール氏の言うことは正しいという事だったのだろうか。
謎が謎を呼ぶ夜だった。

でも、やっぱり怖いからぬまぶは夫さんに立ちあいしてもらいたいとまだ思っている。

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へんな本を読んだ。
エリック・ゼムールというフランス人が書いた「女になりたがる男たち」という本だ。
去年あたりフランスでベストセラーになっていたのは知ってたんだが
原題はLE PREMIERE SEXE(第一の性)とかいって
ボーヴォアールの第二の性をもじってるんだろうけど、
そのセンスもアレだし、
「戦争よりも平和、力よりも優しさ、命令よりも理解。
先進国ではいまや、女性的な価値観こそがスタンダードとなった。
テレビではゲイのタレントが大活躍し、ガリガリのモデルが「理想の女性」となり
男女の差異はどんどん縮小している。
しかし、その先に待ち受けているのは「文明世界の滅亡」かもしれない・・・。」
というアオリ文句も「おっさん、ベタだなあ」と思って読書リストに入れて無かった。
しかし、何故か近所のシケた公民館のシケた「市民のリサイクル図書」の棚(いつもへんなビジネス本とか新興宗教の本とかしかない)に新潮新書2008年1月発行の訳書が置いてあったのでつい持って帰って読んでしまった。
読んでみたら予想に反して面白かったのだけれど、
これはなんだか危険な書物だよ、と思ってモヤーンとした。
内容をものすごく乱暴にまとめると

1968年革命世代の母親に育てられたフランスの若者達(とくに男)はその母親の暗示によって「男性特有」の思考と精神を虚勢されてしまった(この働きをゼムール氏は全体主義的なフェミニズムと呼んでいる)。
今日び文化の花形としてもてはやされるのは、ゲイ好みの性差を消したモデルばかりであり
ちっとでも「英雄、色を好む」的な態度を取ろうものなら社会から
「マっチョ」とレッテルを貼られ、集中砲火をあびてしまう。
女性は、その生物的本性から、配偶者に出来るだけ家庭にとどまることを要求したが
その野望通り「カップル」であることが最大の美徳となった結果、
男は家庭における権力を失い、皮肉にも権力にともなう「責任」を放棄するようになった。
また、男性にとってセクシャリティと権力は常に比例するものなので、
機能不全に陥った男性はこれからもこの調子なら家庭でも社会でも益々勃起しなくなるし、
「権力」の不在は「政治」の不在を招き(もう招いている、と言っている)、やがては文明を退廃させるだろう、フランス社会全体が「女性化」してしまったのだ。

というはなしだ(すみません、酷いまとめだ。興味のある方は読んでください)。

本人が「私は心理学者でも哲学者でもない」
と断ってるようにあくまでもいちジャーナリストによる「エッセイ」という体裁をとっているのだが
いかにも雄弁なフランスのおっさんの諧謔が効いてる文章で
ラカンやジラール、バダンデールをひいて来たりしてて、インテリ好み。
論理の切れ味も鋭いし、その展開自体が面白いのでつい籠絡されそうになるけんど
とても勉強になると同時に「やっぱり、なんかおかしい」と極東アジアのいち妊婦(産休中)として
ぶわぶわ、もやーとした。

面白かった点。
私はなぜ、移民の若者が移民排斥を訴える極右政党に投票したり、
デモをするリベラルな白人に暴行をしかけたりするのか
その心性がイマイチ理解できなかったのだが、
そこのところを「オカマ」に対する
性的嫌悪が呼応しているというのはありうる、なるほどねと思った。
イスラムの人とか、リアルにマっチョ世界に生きる人達にとって、
「女性化」したフランスは耐えがたいオカマ社会に見えるらしい。
父性欠如の問題はヨーロッパ全土に広がるネオ・ナチだとか若者の右傾化なんかにも関係あるんだろうな。ここはヒザを打った。

でもやっぱり
納得しかねる点は
出生率の低下(=国力の低下)をすべて「フェミニズム」のせいにしている点だな。
ゼムール氏は35歳以下の世代の虚勢された性行動(具体的には常にカップルでいることを尊重し、親の持ち物である家でセックスし、それを親も許している現象など)を
自分の世代(まだハンターとしての男性性を保有していると主張している)と比べて
軟弱だと繰り返し嘆いているが、
じつはその断絶じたいが出生率の低下にさらに拍車をかけているんじゃないかしらん?
男性性とは直接関係ないけれど
日本の政治家・経営者なんかみてても「若い世代」の貧困に対する想像力のなさ
には男と女の間に横たわる深くて暗い川よりもさらに深い「断絶」を私などは感じてしまう
のだが。
また、氏はフェミニズムを「女が男なみにふるまうこと」と断言しているが、まずこのへんの理解が
私が思っているのとはぜんぜん違う。
私にとってのフェミニズムはあくまで「隷属からの開放」だな。
DVが怖い、レイプされて殺されるのが怖い、という恐怖への隷属からの開放。
それををめざす運動だと思ってるんだが。
フランスはDV率が日本より高いというけどそのへんどうなんだろうか。

がしかし、
こういう本が5万部売れて、テレビでもおおいに議論されるという土壌はやっぱりいいな、と
は思った。

さて、
市の主催する両親学級で乳房のついた妊婦スーツを試着すれば、
前回のブログにも書きました通りおむつも縫っちゃう
うちの配偶者は、ゼムール氏の云うところの典型的な虚勢された世代の「パンパース・パパ」ということになる。間違ってもジャン・ギャバン系(日本でいったら本宮ひろし系?)の「マっチョ」ではないなー。
ゼムール氏によると、女性は自分らの望むように男性を虚勢したものの、
結局、勃たない男には満足できず虚勢されてない男に惹かれる運命にあるらしい(本当だろうか?そんなにゼムール氏はもてるのだろうか)のだが
私は昔から「男らしい」男の人は苦手で、友達ならいいけれど、恋人には選ばなかった(というか選ぶほどもてたことないが)、結婚するなら「理解しあえる」人が良くて「男なんだからしょうがない」
と言う人は絶対嫌だとおもってそれを配偶者選びの基準にしていたな。
これは秘密を許さないという点でゼムール氏のいうところ女性の「全体主義・ファシズム」的な欲望なんだって。
出産に関しても立ち合いするのが「当然」だと思っていたのだが
落ち着いて周りの男性の声をきいてみると
じつはいろいろなんだなあ、という事が最近分かったのです。

★「男性 その2へツヅク」

 zemu-ru.jpg 
ゼムールさん

ぬまぶです。
でべそになりました。PICT0203.JPG
これは上から見たところ。
でべそになると、へその中央のばってんが
飛び出して来て、まさにまんがのようなでべそになっています。
このばってんがもし汚れによるものだとしたら
オリーブオイルなど塗ってめんぼうで
掃除するのが淑女のたしなみなのだろうか・・・。
よく子供のころ、テレビを見ながらへそを掘ってはお腹痛くなっていたので
ちと怖いです。
PICT0223.JPG
ちなみに我が家には福富織部という人が昭和初期に書いた
「臍」という奇書があり(右写真)、およそ臍に関することならもうなんでも載っているのですが、妊婦の臍の手入れについては書いてなかった。
同じ著者の「屁」という本も持っています。あと、「ふんどし」
という本があるらしくこれを手に入れれば
3大アホ本がシリーズで揃うはずのですが
まだ見つけられません。誰かもっていたら是非譲って下さい。

72ce628djpegさて、私は夫にも出来ればセクシィなふんどしを装着してほしいと思っているのですが(ひつこく提案しては嫌がられている)、アカゴもやっぱり布おむつで育てようと思っています。自分が布ナプキンユーザーであるし、ちっと心理学をかじったことのある人ならご存じかと思いますけんど、乳幼児の「排泄」に関してはどうしても慎重にならざるを得ない気分なのですな。で、母親に輪おむつの縫い方を習い、つわり酷かりし頃から、少しでも余力があればちくちくと針を動かし、とうとう50枚縫い終わりましたよ。左写真は、おむつ用のドビー折りさらし。レトロなパッケージがカワイらスィです。

で、ちくちくついでにフェルトのこまいぬもつくりました。552db7c3jpeg
なかに鈴が入っていてふると鳴ります。
雄鶏社刊「赤ちゃんへハンドメイドの贈りもの」という本に作り方が
載ってました。
0368655fjpegしかし自分で作っただけあってよく見ると
焦点があってない・・・。
口も麻生太郎のように
曲がってるし
なんぞ子供に
影響が出ないといいのだが・・・。




こうなってくると、手作り熱が高じてきて止まらない。0cb9ffa5jpeg
もともと下手なくせに裁縫好きで、
「ああ、これが作りたい!」
と思ったら完成するまで落ち着かず、
ミシンかけながらハアハア言ってしまう変態なのです。
授乳クッションを作りました(右図)。布は夫のインドネシアみやげ。54ba66bejpeg


スリングをつくりました。

布はユザワヤのワゴンセールで2メートル
1000円だったオーガニックコットンのワッフル地(これは通常価格メーター
2000円から3000円するのでかなりオトクにできました)

416e5a29jpeg

オーガニックコットンのはぎれで肌着も縫いました。
通常、綿の栽培にはものすごい量の農薬が使用されるらしく
綿の栽培された土地はしばらく不毛の土になってしまう。
安全性ということもあるけれど、アカゴが産まれて初めて袖を通す服くらいは
フェア・トレードのものが使用したかったんですわ。しかし、買うと高いので
つくりました。
601a667djpeg
寝ているアカゴの背中に差し込んでおく
汗取り布もたんと縫っといた。
夫が図案を描いてちくちく刺繍&アップリケ。


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退院用&お宮参り用ドレスも縫ったった。
で、
現在は手ぬぐい2枚でじんべえを製作中です。

dbf02ce0jpeg
写真は、布おむつ縫うのを手伝えと言われて
おとなしく縫う夫。
苦悩しています。
夫も針を持つのは小学校以来なので
彼の縫ったおむつはへったくそで穴だらけだけど
子供が大きくなったときにおとうちゃんもおむつ縫ってくれたんだよ
ときいたらちょっと嬉しいと思うよ。
ありがとうね。

 

妊娠6週間めには、エコーで赤児の姿を見せてもらえる。
それまでは、体調が悪いだけでお腹のなかになんかいると言われてもあまり実感が沸かないかんじだっただ。
妊娠確定するときに胎嚢という赤児の入ってる袋の写真を見せてもらったが
その時点では月のクレーターみたいな穴が開いているだけで、まだ生き物という感じがしない。
それが、たった2週間経った後にもう一度腹の中を覗いてみると、頭でっかちだが、きちんと四肢の生えた生物がじたばたじたばた動いているのが見えるのだからたいしたもんだ。
その時の驚きといったら、隣で「をおー」と声をあげていた配偶者(既につわりで身体が言うことをきかず、検診についてきてくれた)にも忘れられ経験だったのではないかしらん。mijinkoJPG.JPG
モニターに映し出された赤児は人間というよりもミジンコそっくりで、
手足を振りながら身体全体を旋回させている動きはゾウリムシそっくりで
およそ知性を感じさせない感じなんだが、「なんてかわいらしんだろうか!と思いわたしはしやわせな気持ちになったよ。
そういえば中学1年生の時、理科が得意な訳でもないのに微生物にハマッタ事があって、
近所の池の水を掬ってきては顕微鏡で観てスケッチしたりしていた(今でもそらでミジンコやツボワムシの絵が描けます)。
なにがそんなに私のこころを捕らえていたのかというに、
微生物が植物なのか動物なのか生きているのか死んでいるのかちょっと判断しかねる存在だったからなのだ。
4ヶ月に入るころには、腹のなかのエイリアンもすっかりいっちょまえに人間の姿になってしまったのだが、
妊娠初期の頃は腹のなかで我が児がどんな姿をしているのか毎日気になって気になって仕方なく、
ちっとでも調子の良い時はネットやら本やら図書館でその手の資料を漁って自分の暗い腹の底に思いをはせていた。
受精した胚はあはじめ「胎芽」と呼ばれる分類不可能な状態から両生類、爬虫類、哺乳類と
太古からの進化の歴史をなぞるというが、そんな変身が自分の腹で起こっているかと思うと
なんだか焦るような気持ちになるのだ。今はまだ尾の生えたウーパールーパーかな、エラはもう消えて指は分かれただろうか、と想像しては「うう、見たい」と身もだえしていた。
もし自宅にエコーの機械があったなら、毎日(毎分?)画面に映し出して成長を確認しないではおれなかっただろう。
誰の子でもない自分の子がいつから「人間」になるのか私が見届けなければ!
とおかしな責任めいたものを感じていたのだけれど、
なんぜそんな風に思うかというに、「スゲー変身だ!」と単純に生命の神秘に感嘆する一方で、
妊娠という事実が「人間はいつから人間になるのか」という大問題にヒントを与えてくれるような気がするからなのだった。
昨年くらいまで、かなり本気で人間はいつから植物でも動物でも無く「人間」になるのだろうか、
というその境めのあたりにロマンというか可能性を勝手に感じていて、
それはこないだやっと提出した論文のモチーフにもしていた。
「人間は人間を殺してはいけない」というタブーは一見全人類共通のタブーのように見えるけれど
「人間は人間の仲間である人間を殺してはいけない」に変奏され、あげくのはてには人間は人間を「人間以下、豚野郎」とみなしたとたんに殺せるようになるという横滑り問題に一石投じられないかと思ってさ。
もしか「人間」の定義がもっともっと曖昧になって植物や動物、さらには鉱物なんかとの境目が流動的になったら生命倫理の限界みたいな問題に関わってくると思ったから興味があったのさ。
現行の法律では「産まれる」以前の存在は一個の人間としてカウントされない(そういえば最近乳幼児の事件被害者を0.5人とカウントして問題になった大学の先生がいたな)。
人工妊娠中絶も22週までは母体の安全を保護するという名目で合法的に実施される。
しかし、エコーとして視覚化されたことによる倫理感の変化って確実にあるんじゃないかなあ。
いままでは闇の中でのみ起こっていた生の姿が見えてしまうということ、
産声をあげた瞬間から「この世」がはじまるのであればこの世では起こりえない種を超えた変身が文字通り「見えて」しまうインパクトはやはり大きい。
それこそさっき書いたようなポータブル・エコー装置の普及も近い将来実現するのではないかしら。
それで命の値が上がるのか下がるのかあんまり良く分からないが(自分のホームページやミクシィ上でエコー映像をアップしている妊婦さんを見かけたりすると、そんな無防備に自分の腹のなかや胎児を晒していいのかい?!と複雑な気分になる)
望まない妊娠に対する警戒意識が男女ともに高まるといいなとは思う。

結局、うちの子がいつから人間になったのかは分からなかったなあ。いや、まだ人間になってないのかもしれぬな。
ただ、毎日お腹のなかで暴れまくって
(うちの子は助産師さんが驚くほど動きまくる元気な子で、最近の私はド根性ガエルのひろしのように赤児にひきづられることがよくある)おかあちゃんを当惑させるので「生きてる」のは随分前からまったくあきらかだと思うな。

 

 

 

 

普段はあまりスピリチャルだとかオカルトめいたものには惹かれない性なのだが

何故か妊娠が判明する前後に見た夢が妙に心に残っているのでそのメモ書きをば。

 

妊娠8ヶ月に入る現在から思い返せば

私の妊婦生活の3分の2はずーっと「なんか具合悪い」との闘いだったなあ、と

総括される。

判定薬で反応が出た時には既に体調がおもわしくなかったです。

身体全体が重だるく、何をしても通常の3倍くらい疲れるので、会社から帰ってきたら

すぐに毛布にくるまって居間でも土間でもどこでも転がってはうたたねしていた。

で、明日あたりに病院行かなくちゃなー、と思っていたある休日に半睡半醒でみたのが以下の夢。

 

わたしは、平地続きでスイスイ行かれる近所の駅へと自転車で向かっていた。

時節は5月か6月の雨上がりの夕方で、湿っぽくて暖かい空気がもったりと街全体に流れている。

住宅地を抜けようと角を曲がったところでものすごく大きなガジュマル(と思われる)樹に遭遇。

生い茂ったみどりの葉っぱが周りの家屋を包み込むそれ一本だけで森のような立派な樹。

それが地面から水を吸い込み生い茂ったみどりの葉の間からぶわーっと発散させているのだ。

わたしは滝のそばに立った時のようなよい気分になった。

で、その横には木造の古い二階家が枝に抱えられるように建っていて、これまた木で出来た

素朴な看板がかかっている。字を読むとどうも助産院らしいのだ。

あれ、こんな所に助産院が。知らなかったなあー。

家から近いし丁度良かったと思い、私は中に入って行った。

軽い木の戸を引くと呼び鈴が音をたてたが誰も玄関に出てくるひとはいない。

建物のなかは吹き抜けの大きな一つの部屋で、板の上には暖色のカーペットが敷いてある。どこからかポコポコと、太鼓の音や、さらさらと水の流れるような音(誰かがレインスティックを演奏しているのかと思っていた)、木の風鈴の鳴る音などがきこえてきて原始的な懐かしい雰囲気。

つくりつけの棚には素朴な木彫りの像が並べてある。つくりは古いがよく手入れの行き届いた清潔な部屋である。奥の方に細い2階に続く階段があったので私は靴を脱いで上っていった。

狭く暗い階段をのぼきると一階と同じつくりの部屋に、数人の老女ともう少し若い壮年の女性がくるわ座になっていた。

彼女らはそれぞれ個性的な布を頭や腕や腰に巻いていて、肌の色も眼の色もあいまいで、皺の刻まれた顔はそれぞれどこの国の人なのか良くわからなくなっているのだが、全員が全員経験に裏打ちされた知性に洗われたような眼をしている。

彼女らが一斉にこちらの方を向くと、私は「ああ、こんな立派な人達の視線を浴びてしまっているのに、内容のない人間で恥ずかしいなあ」と恐縮した。

そのうちの一人が「こちらへ」と案内するので私は上着を脱いで部屋の奥の方へと進んでいった。

そこには体重計のような台が置いてあったのだが、その丸い計測盤の部分がふたまたに分かれて丁度おなかをあてる形になっている。

私はその部分に自分のお腹をあてた。sanba.jpeg.JPG
少し不安な気がしたが、案内してくれた老女の方を見ると「サァ、行け!」という表情をしている。

意を決して眼をつむり、子宮を支点にして出染め式の要領で私は「ハッ」とバランスを取った。

するとぐぃーんと計測台の支柱が伸びて私は天井すれすれのところで「ひこうき」のポーズを華麗に描いていた。ちっともお腹に負担はかからない。私は軽やかで晴れやかで伸びやかな気持ちになった。老女達はやんややんやの拍手。

「いやあー、これはいい子が産まれるよ!」「良かった良かった」と口々に話しあっている。

あー、やっぱり妊娠しているのねとわたしはひこうきのポーズのまま確信したのだった。

・・・

 

妊娠すると妊婦は睡眠の質が変わるらしく(具体的にはノンレム睡眠が減りレム睡眠が増えるそうです)

浅い眠りのなかでやけにはっきりした夢を見る事が多いのですがこの夢は、その後数々遭遇することになる奇妙な夢の群生の第一弾となるものだったので

やけに印象に残っているのです。内容的にもデタラメっちゃあデタラメなのですが奇妙な多幸感に包まれていたので、その後の生活で心身の不安に襲われた時にはよくこの夢の内容を思い出して自分のこころをなだめていた。夢の内容を現実と結びつけて現実をなんちゃらしようとかは思わないのですが、わたしの場合夢の内容が実生活に占める割合も大きいのだなあということを最近良く思います。

夢のなかで、老女たちが「仲間」として応援してくれている雰囲気がとても嬉しかったのでありますが、彼女達は果たして経産婦だったのだろうか?

これに関してはなんだか気にかかっていることが一つありますのだな。
それはある女性カウンセラーの知人の
悩みについてです。

彼女はおもに「女性問題相談」というのを受ける仕事を公的機関でしているのですが、「女性問題」といってもどこからどこまでが女性問題なのか線引は難しく、実際、深刻なDVの相談から嫁姑問題まで幅広くいろいろ対処しているようでしたが、自身も不妊でたいへん悩んでいたんだな。

その人に、どうして子供を持ちたいと思うのか聞いてみたらば、経産婦の相談者に

「あなたのように出産も経験していない人に私の悩みが分かるわけが無い」と非難されることがとても多く、「そう言われるとね・・・本当にどう返せばいいのか分からなくなっちゃうんだよね・・・」と答えた。

でもさ、裏を返せば不妊で悩む女性に

「子供が授からなくたっていいじゃない」と言うべき局面も必要なはずなんだがな。

そんなにも子供を産んだ女性と産まない女性の間には決定的な距離が・・・知性も乗り越えることの出来ない距離が出来てしまうもんなのだろうか?

男性は男性であってヒエラルキーはあるだろうけれど分断はされていないよね。女性達はなんで文化的・また身体的な理由によってモザイク状に分断されているんだろう、とずっと疑問に思っている。歳とった女たちが性を謳歌する若い女性を必要以上に非難したり、ね。年取った男が若い男性の性を非難することはあんまりない。それどころか謳歌できるようにいらんところに連れて行ったりする)

働いていても既婚/未婚、生理痛が軽い/重い、年齢の違いなどで、随分つきあいが難しかった。母親世代を見てても主婦と、働く女性の間の溝って大きかったよなあ・・・。

これから自分が子育てに埋没していくと、これまでの女ともだちとの関係も変わっていくのかな?とちらっと想像してなんとなくサビシイ気分になったりもするのだが

しかしまあ、あの夢は夢ではあるんだけれど、なんだか希望めいたものを感じさせる雰囲気だったので大切にしたいと思ったのら。

いろんな哲学者が「女性どうしに友情は成り立たぬ」とかしたり顔で言ってるけどさ、難しいけどなんか出来るんじゃないか、という希望をちらっと感じたのら。


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