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6年ほど前、妊娠ブログを適当に書き散らしていたぬまぶんが、 その後、育児の傍ら制帽学校に通い帽子屋修行を始めたその後の日々です。
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プロフィール
HN:
ぬまぶん
性別:
女性
職業:
鬼在宅ワーカー
趣味:
読書
自己紹介:
東京都内に住む30代かあちゃん。
娘とともに自分を見失いがち。
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2008年7月8日 午後5時1分に
3594gの実に立派な女児を出産しました。
微弱陣痛2日+34時間の長くつらい闘いでしたが、
自然分娩で寄り切りました。

娘の名前は母方の曾祖母の名をもらって「ゆく乃」。
とても明るく賢いおばあさんだったらしいです
(私は直接会ったことが無いのですが)
山奥で地位も名誉も無く、野の草のように生きたひとですが、
光っていたというところが気に入って名前をもらいました。

今回の出産に関しては本当にたくさんの方からはげましをいただきまして
感謝してもし尽くせません。
できれば、ひとりひとりの方に、夫・娘とともにキッスして回りたい気分ですが、
今はまだ産卵後のサケよろしく、川面にぷかーと白い腹を浮かべて
白目をむいている状態ですので、
また後日改めてお礼申し上げたいと思います。

生きているとこんなよろこびもあるのだなあ。スゴイ!!

ではまた、皆さまもよき日々を。これからもよろしく!!

ぬまぶん

p.s
くわしい出産顛末については、時間を見つけて
upしたいと思っています。
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と、その1ではついばかなことを
かきましたが

『ぐるりのこと。』は
自身のうつになった経験から「希望は人と人との間にある」という答えを導きだした
監督の姿勢が、現在のぬまぶの状況にガツンと響いたんだろうと思います。
妊娠して、身体が思うようにいかなくなると
「他の人は皆、きちんと生活しているのに
私だけ生きる資格無し」とか思いがちなんですよ。
「生きる資格」とかいう言葉を使うこと事態ナンセンスだと頭で分かっていても
心がもやもやしてしまうんですなー。
木村多江の奥さんも
「ちゃんとしたいのに、ちゃんとできない」と言って
泣いてましたが
こういった落ち込み方をする人って、
客観的にみて、ここ10年位で急に増えたような気がするなー。
ひとつ「上手くいかない」と全てが将棋倒し的に「悪く」見えるようになってしまい
なかなか抜け出せなくなる循環に脚をとられがちな気がする。
精神疾患の種類と数は時代によって劇的に変化しますが
鬱という心の風邪が流行るのにはやっぱり
「わたし」を貫く無言の眼の存在というか、
社会的な枷のありかたにも問題があるのだろうよ、と思う。
で、
映画のなかで木村多江の奥さんは絵を描くことによって再生しますが
その一方で、リリーさんの法廷画家という職業を通して
個人の物語に収束されない遠景としてここ10年の様々な事件がかなりリアルに描かれておりました。
連続幼女誘拐殺人事件、地下鉄サリン事件、文京区幼女殺人事件・・・など
それらの法廷のシーンを観ていると、ぬまぶは何かこう、心のウラッカワをガリガリされる気分になった。
しかしそのうちになんだかんだで音楽が流れて、エンディング。
涙を流したのでなんとなくスッキリして映画館を出、
駅に向かったらば
連続幼女誘拐殺人事件のMの死刑が執行されたというニュースがスポーツ新聞の見出しが目に飛び込んできた。
一番最初に持った感じたのは
「ああ、執行されてしまったのか・・・。
 ・・・しかしこれで本当に終わったのだろうか?」
という虚脱感と疑問。
それからやっぱり、心を爪でがりがり引っ掻かれるような落ち着かない気持ちが再びやってきた。
それは何かというと「後ろめたい」気分なのだね。

子供の頃は「自分が被害者になったらどうしよう」
妊婦の現在は「娘が同じような被害にあったらどうしよう」と単純に怖れる一方で
わたしは、こうした現実のまん中に子供を産む事を「後ろめたく」思っている。
通っていた編集部でMの手記を扱っていたこともあって、なんとなくその存在を近く感じていたこともあるけれど
偶然というのは重なるものでこのとき
わたしのかばんには大澤真幸の新刊『不可能性の時代』が入ってたのだな。


★★★★★

・・・・とかなんとか書いて
「続きうまくまとまらないなー」と困ってたのですが
ちょいと身体的な理由でとてもそれどころではなくなってきてしまいました。
(またフェイク陣痛かもしれないけど)

とにかくコトを済ませねば。
想い悩んでも時間は待ってくれぬ。
案ずるより産むがやすし
だといいなあ。

落ち着いたらまたご報告します。
いってきまーす。
やってきまーす。


 


taiin.jpg

アカゴのセレモニードレスとお揃いで自分のワンピースも縫いました。
カシュクール型なので授乳もオッケイ。
画像だと随分白いですが、実物はきなりの色です。
麦わら帽子に合わせたいので、退院の日は晴れるといいなあ。
夫は仲間はずれだ。イヒヒヒヒヒヒ。


アカゴは順調に骨盤内に降りてきまして、無事定位置にロックオンされました。
ロケットでいえば発射台にあがったところ。
あとはもうカウントするだけらしいので、ひたすら毎日歩いて、スクワットしています。
前駆陣痛という陣痛のリハーサル現象も起きていまして
明け方によく腰と腹がパキーンと張り、焼けるようにしばらく痛くなる。
イデデデデ、と身体を曲げて耐えるのですが
「なんの、これしき、まだまだ!
本番はこんなもんじゃないぞ!おまえの根性を見せてやれ!」
「うん!頑張る!アタシ!」
と一人コール・アンド・レスポンスして、何故か最近は体育会系のノリになっていル。
生粋のインドア派の私が体育会系ポジティブになるなんて人生って不思議だな。
引力の関係で、満月と新月の大潮の日には赤さんが沢山産まれるらしいですが
7月の大潮は2日と3日と4日。
おおお、マジカに迫っておるがこの波に乗れるかしらん?
最近通ってる安産灸でも、今日は骨盤開くツボに針してもらったので
ウキウキ・ワクワク・ビクビクの時間をすごしております。

<以下本文>

映画おさめに行ってきました。
産まれたらもうしばらーく、銀幕なんてみられないだろうから、何にするか悩みましたが
橋口亮輔監督の6年ぶりの新作『ぐるりのこと』にしました。
結果、とても良い選択だった。いーい映画。
もう、ネットで予告編みただけでだだ泣き。

≪予告編≫
http://www.gururinokoto.jp/trailer/index.html

リリー・フランキーが主演て、どうなんだろう?とか勝手に懸念していたのだが
役にぴったりハマっていてとても魅力的だったですよ。
夫さんと一緒にシネマライズの二階席に阿呆づら並べて、おにぎり食べながらみたのだけれど
140分もある全部のシーンが、きらきら光ってましたね。
ちっとも長く感じなかったよ。


木村多恵の奥さんが涙と鼻水を流しながら「どうして私と一緒にいるの」と
泣く場面があるのだけれどまったく同じことをぬまぶもよく云うわな。
そうやって夫を責めて、責める自分が嫌になってもういちど
「なんでこんな私と一緒にいるの」と責めるスパイラル攻撃(深刻さが全然違いますが)。
観終わったあとしばらくは、ありがたいなーと思い夫さんに対する愛が溢れて止まらなかったですよ。

それで

≪以下暴走≫

高校生の時、音楽の授業で『カロ・ミオ・ベン』というイタリア歌曲を習ったのを思いだしましたよ。

カロ・ミオ・ベン
(Caro mio ben)
(邦題 いとしい人、愛しい人etc.)
   作曲 ジョルダーニ
   訳詞 教科書のを適当に変えた

 C Caro mio ben, credimi almen,
senza di te languisce il cor,
 恋人 信じて
貴女がいないと 私は暗いよ

(中略)

Cessa, crudel, tanto rigor!
cessa, crudel, tanto rigor, tanto rigor!
やめて むごい仕打ちを
やめて やめてよ むごいこと

(中略)
caro mio ben, credimi almen,
senze di te languisce il cor. 
恋人 信じてよ
貴女なしでは つらいよー

 
その時はなんか変な詞だな、意味分からん、ムカツク(このへんが餓鬼)と思っていた。

特に
Cessa, crudel, tanto rigor!
cessa, crudel, tanto rigor, tanto rigor!
やめて むごい仕打ちを
やめて やめてよ むごいこと

のあたりが。しかし
ああ私はウブだったのね。本当の愛を知らなかったのだわ。

川崎のはずれで酔っ払い、前にも後ろにも進めなくなったぬまぶを
新車で回収しに来てくれたあの日の夫さん。
道すがらぬまぶは何が気に入らなかったのか「離婚する、もう離婚する、断然リコンだ!」
と最初は威勢よくわめいていたのだが、そのうち「うう、気持ち悪い、吐くー」と唸り出した。
夫さんはファミレスの駐車場に緊急停車させ、
隅の排水溝のところまで連れていき、背中をさすりながら
「はい、吐いてー。」
と言った。
しかし、ぬまぶは
「でへへ、うっちょーん」。
と云った。
「・・・・・・。」
再び車を走らせて15分ほど行くも
またもやぬまぶの「うう、吐きそうー、吐きそうー、てゆうか、吐く。」コール。
今度はコンビニの駐車場に駆け込んで
「はい、吐いて。吐きなさい。」
「でへへ、またうちょーん」。
とまた云った。
「・・・・・・。」
そして三度目に車を発進させた直後
ぬまぶは何も言わず新車のシートに盛大にリバースした。
なのに夫さんは怒らなかった(怒っていたのかもしれないが、覚えていない)し
ぬまぶを離婚せず今日に至っている。

二人でドライブ行ったあの日の帰り道。
もっぱら運転手役で疲れていた夫さん(ぬまぶは免許持ってない)が、
高速道路の入り口に舵を切ろうとするのを
「やめて!高速道路なんて!悲しすぎる!
旅っていうのは目的地に直進することを旅と呼ぶのではなくて
その過程を味わうのが旅の醍醐味なんだよ!」
と目に涙をためながら(本当に泣く)制止し、主張するぬまぶに
「・・・・・分かった。」
と従い下の道に迂回してくれた夫さん。
しかしぬまぶは15分ほどで飽きてカーッと寝てしまう。
さらに大渋滞に巻き込まれるはめになるも夫さんはぬまぶを離婚しなかった。

乗り物大すきの夫さんを後目に
飛行機でもなんでも窓際を譲らず占拠するくせに
いつでも5分でカーッと寝てしまうぬまぶ。
あとで、怒ってる?つらい?つまらない?と聞くと
いつも無言で微笑む夫さん。
本当にありがとう。ぬまぶはあなたのお陰で初めて愛というものを知ったヨ。

ところでお腹の赤さん、長らく性別不明だったのだが
針灸院の先生によるとどうも女の子らしいとのこと。
あー、これはもう絶対手下にしてぬまぶとぐる組ませよう、と思う。
夫さんがうるさくて眠れないと言っても
枕もとで一晩中パーティだ!ストームだ!無礼講だ!
夫さんは男だから仲間はずれなのだ。イッヒヒヒヒ。

kobayan.jpg←妻の理不尽に遭遇した際の夫の顔のパターン
「何で怒らないの」
ときく(責める)と
「・・・気づきをまってるんだよ」
と言う。

★ぐるりのこと2(ちゃんとした感想)にツヅク
 

 artichork001.jpg
 庭のアーティチョークが食べごろなのだ。
 お湯で15分ほどゆがいたら
 外側からがくを一枚一枚千切って
 オリーブオイルとマスタードと塩と胡椒を混ぜた
 ドレッシングにつけて食べます。
 ンマーイです。かぶらのような、たけのこのような、ユリ根のような味。
 まるで自分が伊丹十三になったような
 優雅な気分になれます(芸能界いちのアーティチョーク好きだったそうです)
 
さて、以下が本文ス。

≪倫理・道徳≫

親になったら子供を叱らねばならないらしい。
「きちんと」叱らないで、
子供が暴れていたりすると「あの家(親)はしつけがなってない」と言って後ろ指をさされるわ
村八分だわ、ロケット花火を家に打ちこまれるわするらしい。
ああ、怖いよー。
一体私にそんな事が出来るだろうかよ?!と思う。

昨日のことですが
ぬまぶはマルイにあるパン屋さんのイート・インコーナーに居た。
腹がヘッテイタので菓子パンをもぐもぐ食べながら、本を読んでいたんだ。
オモチロイ新書だったので結構夢中で活字を追っていたのだが
ふと、視線を感じて顔をあげると、4歳くらいの女児のまんまるい黒目にかちあった。
ナナメ前のテーブルに母親と座っていた彼女はぬまぶと視線が合うと、
まっすぐ右手でぬまぶを指差しながら、おもむろに歌い出した。
「いーけないんだ♪いけないんだー♪
いーけないんだ、いけないんだー♪」
へ?!わたし?!
不意打ちをくらい、ぬまぶはヒョトヒョトと回りを見渡したけれど
彼女が指差しているのは確かにぬまぶだった。
「コラッ○○ちゃん、そんなことしちゃダメ!」
青ざめた母親が慌てて女児の手をはたく。
・・・・・・。
・・・いや、いいんです。彼女は正しい。
モノ食べながら本を読むのはお行儀悪いことだよね・・・・。
きっと○○ちゃんはお母さんにいつも
そうやって言われてるんだよね。
すみません、
私こそ大人のくせに(ついでに妊婦のくせに)
見本にならないふるまいをして・・・・。
その歌さ、四半世紀前にぬまぶもよく歌ってたよ・・・。
まだ歌い継がれているんだね・・・。

kinki.jpg

   譜面におこしてみました。
   (小林武文氏監修)



それにしても、ここで着目したい問題は、
いくら幼児で人の年齢についての判断力が未熟であるとしても
どう見ても「大人」のぬまぶに初対面でその歌を歌うかや?!
という点にあるのである。
確かに、通常まん丸いメガネをかけているぬまぶはよく「くいだおれ人形」
に似ていると言われるので子供には幾分親しみ易い容姿をしているのかも
しれないけど、それだけが理由ではないよね。
親しみ易いというよりも、
おそらく子供に「こいつは同等だ」と認識されてしまう傾向があるんだね。
つまり「なめられ易い」ということが確かにあるのだ。

先週は姪っ子の三歳児とガチで家遊びをしていたのだが
彼女はぬまぶ以外の人は「オジイチャン」「オバアチャン」
「マルマルちゃん(もう一人の叔母さんのこと)」と普通に呼ぶのに
何故かぬまぶのことは「ぬまぶ」と呼び捨てにする。
で、
その日は「使い終わったサランラップの芯でビニールボールを打つ」
という遊びをしていたのだがこの娘、はじめは大人しくボールを打っていたが
そのうち興奮しだして、ぬまぶの頭をポカポカ打ちだしたのである。
これはいかん、と思い
「これ(サランラップの芯)はボールを打つものであって
ひとの頭を打つものでは無い」
とまじめに説明したのだけれど
お説教のあとにも
彼女は興奮覚めやらぬかんじで
瞳の光もらんらんと
隙あらばもう一発打ってやろうとしているのが明らかなのである。ぜんぜん効かぬ。
(姪っ子の名誉のために断っておくが姪っこは普段はよくしつけられた優しい良い子です。
だが何故かぬまぶといる時は線がひけなくなってしまう、と回りの大人は口をそろえて言っている)
そういえば、大学生だった時にも
5年間も「塾のせんせい」をしていたのだが
「せんせー、せんせーは本当に頭がいいんですか?うそなんじゃないですか?
いつも口あけっぱなしだよ」
とか失礼な事を言う生徒がいたな。

今でこそ、頭のネジもボディラインもゆるゆるで、相応の「おばあちゃん」になってしまったが
ぬまぶの母親はとても厳しい人で
娘たちの「しつけ」という点に関してはかなりピリピリ頑張っていたと思う。
母親が怒るのは怖かったし、ドスの効いた声や
三角に吊り上がった目を今でも鮮明に思い出す事が出来る。
しかし、皮肉なことに
あれだけ必死に行われた「しつけ」を私は成長の過程でことごとく転覆させてしまった。

飴ダマひとつ舐めるのも「座って、口のなかで転がせ」と言われていたのに
高校生になったら
私は制服のまま多摩川土手で焼き鳥を歩き食べする娘(しかもひとりで)になってしまった。
まんがは読んでも買ってもいけないかったのに
私はまんがを描いて小銭を稼ぐようにになってしまった。
「お勉強」が出来る子になるように母は私に「あやとり」を強制し
時には泣きじゃくる私をはがいじめにしてまで「ロンドン橋」をマスターさせたのに
私は「お勉強」が出来るようにはならなかった(後に普通に勉強したら成績は上がった)。

自分のそういった変遷を知っているので
なんかこう、強気に、ちゃんとしつける気になれないというのもあるんだなあ。
しかし、「子供になめられ易い」「自分の成長過程にしつけの成果を感じられなかった」
という理由のほかに
やっぱり一番問題なのは「自分のなかの道徳の規準が分からない」というのも
あるのだなあー。
「言語社会」研究科なんていうたいそうな名前の機関で
やらんでもいい研究をしてきたにも関わらず、倫理・道徳を司る
私の言語能力は勉強すればするほど落ちる一方だった。
興味本位でポストモダン、とかポストポストモダンとか浮かれて相対化してたバチが
あたったんだな。きっと。
カントの「判断力批判」の読書会とか出席してたんだけどなー。
結局、「何かすごい」ということは分かったけど
「定言命法」とか分かったようで分からぬままよ。

なんとなくこんな子はイヤだなあーというイメージ(ヒップホップの格好してヒップホップをこれみよがしに踊る子供はイヤ!とか。)はあるけれど、
全然理由ないもの。ただの好みにすぎないなー。
好みと定言命法は違いますよネ。

「なすべきことをなせ」
って
今の私には、さしあたり陣痛に耐えて
子供を産むことしか思いあたらないなー。
「腹をくくれ」という意味じゃないよね。
誰か教えて下さい。

 

76738c5cjpeg

日本てぬぐいを組み合わせてじんべえをつくりました。
バイアステープは家になかったので豆しぼりをナナメに切って代用。
今どき、ひょうたん柄のツギハギってのも冴えなくていいな。ふっふっふっ。
文化出版局刊「愛しのベビーウェア』という本を見てつくりました。

気がつけばスッサン予定日まで1ヶ月を切り
正規産の週数にはいりましたので
あんまり遠出をすることも無くなり
なんとなーく間伸びした日々が続いておる。
夫さんが自宅作業をしている日ならば
部屋のなかにある防音室をガバッと空けて
「アタシ!彼と寝たわ!
愛されたの!
このお腹を見て!これが証拠よ!」
などと叫べば
「なにぃー?おまえー、あんなうす汚くて臭いどら猫のどこがいいんだ!
目を覚ませ!この、あばずれ!バシッ(平手打ちのまね)」
と近所の野良猫と我々夫婦の三角関係ドラマごっこに夫さんも
適当につきあってくれたりして、余計なことも考えないのだが
ひとりで日をすごしていると
だんだんセンチメンタルになってくる。
ヨツンバイになって床掃除をすると安産になるというので、
雑巾がけを済まして一息つき
せいけつな部屋に黙って座っていると
なんとなく、しんしんと、奇妙な孤独に身体ごと浸されていくのが分かる。
私はラヴェルの「マ・メール・ロワ(マザー・グース)」という曲を
ピアノ独奏で聴くのがすごく好きなのですが
今日もこれを聴いてひとりでうー、うー、うーと泣いていた。
はじめはポロポロと滴のようにピアノの音が落ちてくるのが
展開し扇のように曲が現れると、私は自分の記憶の
最も古いあたりにつれ戻されるような気がするよ。
親の庇護にあって、図式的にはそうでなかったはずなのだが
ものすごく孤独だった少女の頃を
思い出すのだなー。
お腹のなかでは耐えずアカゴがもくもく動いていて
一人以上の存在になっているはずなのだが、そういった身体的な充実感が
増せば増すほど泣き笑いを同時に起こす感情の波にゴーと襲われる。
嬉しいのとも違うし寂しいのとも違う。なんなんでしょうか?
しかし、いつまでも家でレコードかけてひとりで泣いててもしょうがないし
体重も規定オーバー気味なので近所の図書館までウォーキングに出かけることにした。
図書館へ続くいつもの散歩コースを10分ほど行くと
「貝淵商店」というとても好きな魚屋がある。
ほぼ毎日営業しているのだが一度も魚を買ったことはない。
コレハただ近くを通りかかって店主とその奥さんとその友人達を見るのが楽しい店なのだ。
貝淵商店は大通りに面した2つぼほどの店で、
道路にはみ出す程立派なガラスの魚ケースと天井まで積み上げられた木箱
が並んでいるのに、中はほとんど空っぽで、だいたいいつも刺身が何サクとか干物が
少し入っているだけだ。
天井からはいろいろなものがぶらさがり、店の周りにならべられた発砲スチロールの箱に植えられた
さまざまな植物が狂ったように花を咲かせている。
で、店主と奥さんと、その友人と思われる人(いつも誰かしらいる)達も丸テーブルごと
道路にはみだして、降っても晴れてもお茶を飲んだりおしゃべりをしているのだ。
ちょっとしたサロン風。
いわゆる「お商売」をしている姿は一度も見たこと無いなあ。
今日はぼんやり柱にもたれかかる奥さんの横で店主がスケッチブックに向かっていた。
長い銀髪を無造作に伸ばした痩せた初老の店主にスケッチブックは良く似あう。
何の気なしの通行人のふりをして横目でちらっとなかみを覗いたら
筆ペンで
「ちはやふる」
と縦に書きつけていた。

それを見て満足して
さらに
ぎんぎんぎらぎらの
日差しの下をひとりで歩くのだが
やはりセンチメンタルになってきてどうしようもない。

皆と遊んでいたはずなのに
気がついたら誰もいない公園でひとり一輪車にまたがって
5時のサイレンを聴いていたこととか(秋だった)

押入れの中に入りこんで懐中電灯で遊んでいたら
突然たまらなく恐ろしくなって
ぶるぶる震えながら這い出したこととか

原初的な不安と孤独が蘇るのだよ。
なぜそれを今ごろ頻繁に思い出すのだろう。
いまの配偶者とであってからはとんと忘れていたのだけれどなあ。

思うに、
アカゴを胎内に宿す妊婦はさまざまな文系分野で
母子密着イメージのモデル、融合のモデルとされるけど
母子一体の理想像ってのは
観念的なものにすぎないんじゃないかなあ。
あくまでも「子」の目線から見た理想の母親像
もしくは
母親のナルシシズムをそのまま刷りこまれた息子の幻影なんじゃないかしら。
実際子宮のなかに子供がいる状態になっても
私は万能感など感じないし、
聖母や海のように偉大な存在にコネクトしてしまうわけではけっしてなく
むしろ子供の頃に戻ってしまうような不安と孤独感にサイナマレテイル。
私自身もかなわないノスタルジーに囚われたままでいるなあ。ここんとこはとくに。
これがマタニティ・ブルーというやつかしらん。
その割には詩的だなあ。

わしのアカゴもあとヒトツきでその、最初の別離の刻印をきざまれ
やがて同じ類の孤独を抱えるようになるのだと思うとせつなくてしようがない。
だとするとなんとはかない時間のなかにわたしたちはいま生きていることよ、
やっちまったなあ
と泣けてくるんら。

なす術もなくうろうろと歩き回り
図書館であんまり読む気もない本を借りて
帰り道で再び貝淵商店の前を通ると
夕闇のなかで店主がギターを弾いていた。
それが、アア、AmとAmひたすらざんばらざんばらと繰り返されるだけの音楽なんだよ。
私は本日二度目の涙を手でぬぐいながら、がに股でおうちに帰った。
帰るしかないもんね。
kaibuchi.jpg


  貝淵商店のおやじ
 

 

 


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