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6年ほど前、妊娠ブログを適当に書き散らしていたぬまぶんが、 その後、育児の傍ら制帽学校に通い帽子屋修行を始めたその後の日々です。
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ぬまぶん
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鬼在宅ワーカー
趣味:
読書
自己紹介:
東京都内に住む30代かあちゃん。
娘とともに自分を見失いがち。
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へんな本を読んだ。
エリック・ゼムールというフランス人が書いた「女になりたがる男たち」という本だ。
去年あたりフランスでベストセラーになっていたのは知ってたんだが
原題はLE PREMIERE SEXE(第一の性)とかいって
ボーヴォアールの第二の性をもじってるんだろうけど、
そのセンスもアレだし、
「戦争よりも平和、力よりも優しさ、命令よりも理解。
先進国ではいまや、女性的な価値観こそがスタンダードとなった。
テレビではゲイのタレントが大活躍し、ガリガリのモデルが「理想の女性」となり
男女の差異はどんどん縮小している。
しかし、その先に待ち受けているのは「文明世界の滅亡」かもしれない・・・。」
というアオリ文句も「おっさん、ベタだなあ」と思って読書リストに入れて無かった。
しかし、何故か近所のシケた公民館のシケた「市民のリサイクル図書」の棚(いつもへんなビジネス本とか新興宗教の本とかしかない)に新潮新書2008年1月発行の訳書が置いてあったのでつい持って帰って読んでしまった。
読んでみたら予想に反して面白かったのだけれど、
これはなんだか危険な書物だよ、と思ってモヤーンとした。
内容をものすごく乱暴にまとめると

1968年革命世代の母親に育てられたフランスの若者達(とくに男)はその母親の暗示によって「男性特有」の思考と精神を虚勢されてしまった(この働きをゼムール氏は全体主義的なフェミニズムと呼んでいる)。
今日び文化の花形としてもてはやされるのは、ゲイ好みの性差を消したモデルばかりであり
ちっとでも「英雄、色を好む」的な態度を取ろうものなら社会から
「マっチョ」とレッテルを貼られ、集中砲火をあびてしまう。
女性は、その生物的本性から、配偶者に出来るだけ家庭にとどまることを要求したが
その野望通り「カップル」であることが最大の美徳となった結果、
男は家庭における権力を失い、皮肉にも権力にともなう「責任」を放棄するようになった。
また、男性にとってセクシャリティと権力は常に比例するものなので、
機能不全に陥った男性はこれからもこの調子なら家庭でも社会でも益々勃起しなくなるし、
「権力」の不在は「政治」の不在を招き(もう招いている、と言っている)、やがては文明を退廃させるだろう、フランス社会全体が「女性化」してしまったのだ。

というはなしだ(すみません、酷いまとめだ。興味のある方は読んでください)。

本人が「私は心理学者でも哲学者でもない」
と断ってるようにあくまでもいちジャーナリストによる「エッセイ」という体裁をとっているのだが
いかにも雄弁なフランスのおっさんの諧謔が効いてる文章で
ラカンやジラール、バダンデールをひいて来たりしてて、インテリ好み。
論理の切れ味も鋭いし、その展開自体が面白いのでつい籠絡されそうになるけんど
とても勉強になると同時に「やっぱり、なんかおかしい」と極東アジアのいち妊婦(産休中)として
ぶわぶわ、もやーとした。

面白かった点。
私はなぜ、移民の若者が移民排斥を訴える極右政党に投票したり、
デモをするリベラルな白人に暴行をしかけたりするのか
その心性がイマイチ理解できなかったのだが、
そこのところを「オカマ」に対する
性的嫌悪が呼応しているというのはありうる、なるほどねと思った。
イスラムの人とか、リアルにマっチョ世界に生きる人達にとって、
「女性化」したフランスは耐えがたいオカマ社会に見えるらしい。
父性欠如の問題はヨーロッパ全土に広がるネオ・ナチだとか若者の右傾化なんかにも関係あるんだろうな。ここはヒザを打った。

でもやっぱり
納得しかねる点は
出生率の低下(=国力の低下)をすべて「フェミニズム」のせいにしている点だな。
ゼムール氏は35歳以下の世代の虚勢された性行動(具体的には常にカップルでいることを尊重し、親の持ち物である家でセックスし、それを親も許している現象など)を
自分の世代(まだハンターとしての男性性を保有していると主張している)と比べて
軟弱だと繰り返し嘆いているが、
じつはその断絶じたいが出生率の低下にさらに拍車をかけているんじゃないかしらん?
男性性とは直接関係ないけれど
日本の政治家・経営者なんかみてても「若い世代」の貧困に対する想像力のなさ
には男と女の間に横たわる深くて暗い川よりもさらに深い「断絶」を私などは感じてしまう
のだが。
また、氏はフェミニズムを「女が男なみにふるまうこと」と断言しているが、まずこのへんの理解が
私が思っているのとはぜんぜん違う。
私にとってのフェミニズムはあくまで「隷属からの開放」だな。
DVが怖い、レイプされて殺されるのが怖い、という恐怖への隷属からの開放。
それををめざす運動だと思ってるんだが。
フランスはDV率が日本より高いというけどそのへんどうなんだろうか。

がしかし、
こういう本が5万部売れて、テレビでもおおいに議論されるという土壌はやっぱりいいな、と
は思った。

さて、
市の主催する両親学級で乳房のついた妊婦スーツを試着すれば、
前回のブログにも書きました通りおむつも縫っちゃう
うちの配偶者は、ゼムール氏の云うところの典型的な虚勢された世代の「パンパース・パパ」ということになる。間違ってもジャン・ギャバン系(日本でいったら本宮ひろし系?)の「マっチョ」ではないなー。
ゼムール氏によると、女性は自分らの望むように男性を虚勢したものの、
結局、勃たない男には満足できず虚勢されてない男に惹かれる運命にあるらしい(本当だろうか?そんなにゼムール氏はもてるのだろうか)のだが
私は昔から「男らしい」男の人は苦手で、友達ならいいけれど、恋人には選ばなかった(というか選ぶほどもてたことないが)、結婚するなら「理解しあえる」人が良くて「男なんだからしょうがない」
と言う人は絶対嫌だとおもってそれを配偶者選びの基準にしていたな。
これは秘密を許さないという点でゼムール氏のいうところ女性の「全体主義・ファシズム」的な欲望なんだって。
出産に関しても立ち合いするのが「当然」だと思っていたのだが
落ち着いて周りの男性の声をきいてみると
じつはいろいろなんだなあ、という事が最近分かったのです。

★「男性 その2へツヅク」

 zemu-ru.jpg 
ゼムールさん

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 リニューアルしたてのF競馬場は確かに内も外もぴかぴかで、
老若男女全てがアミューズ出来るというふれこみ通り一見ディズニーランドのような、
万人に親しげな表情をしているのだが、「打つ」人々のエネルギーが圧倒的に「ハコ」を圧倒しているというか、プロの清掃員の人たちが瞬時に片つけるからゴミは無いんだけれどゴミだらけというか、とにかく心ここにあらぬ人が沢山いて、わさわさしていたので私は嬉しくなった。
建物の内装は地中海風というか作りものの葡萄がコリント式(?よく分からない。適当なことを言っている)円柱に蔓をからめたりしてるんだけれども、天使が舞う巨大な西洋絵画の下で、人々は皆靴脱いで競馬新聞を敷物変わりに広げて焼き鳥食べたり予想をたてたりしているんだ。
keiba3.JPG
おっさん達のファッションは一様にスニーカーウィンドブレーカーにニットキャップ。
だだっ広いトラックをおんまさんの群れがドドドドと横切るたびに「刺せっ!さーせぇー!」だとか
結果が出れば「間違ってんじゃねえーのか?!」とか充血した目でさけんでいる。時には怒って物を投げている。

そして乳幼児をバギーごと連れ込んで、ベンチの上だろうとテラス席のテーブルの上だろうと所構わずおむつを替えたりしている家族連れが結構たくさん来ていた。
なんだ、別に「出産前にはデビュウを済ませておかねば!」
などと気負う必要も無かったのかもしれぬな、と思った。

前の記事で「打つ」を是非やりたいなんて書いたが、結局呑みこみが悪いせいで配当金のしくみとかなんだか理解できず100円分だけ単賞の馬券を買って貰い、
あとは美味しいやきそばやフライドチキンを食べつつ私はひたすら競馬場に集う人々の様子を見ていた。
それだけで満足。
何故だか私は昔からこういった「良識派なら眉を潜める」
もっと云えば「民度の低い(UCLA帰りの日本人学者様が駅で煙草を吸うおっさんについて汚いものを見るような調子でこう表現していた。民度が低いって悪い事なのかしらん?)場所」が好きだ。
私は大人も子供も状況に巻き込まれてむき出しの顔をしている空間が好きなんだよなー。

子供の頃住んでいた新興住宅地の沿線を少し外れたところには、ヤミ市の風情をそのまま残す
ごちゃごちゃ街があった。昼間っからラジオの演歌が流れる中酔っぱらったおっさん達がごろごろ転がっているような「路地」だ。
わたくしの両親(特に母親)は結構厳しくいろいろ神経を使う人で、
平素、そこの通りには「なるべく行くな」と言われて
いたのだけれど、独特な活気に惹かれて「通らないと図書館に行けない」などと理由をつけてはちょくちょく通っていた。
それで、嗅いだ事の無い肉の焼ける匂いとドブの匂いが混ざる中
焼き鳥屋で管を巻くおっさんの赤い顔や「ホッピー」「モツ煮」「雀の丸焼き」などの謎のメニュー書き
を横目で観察したその光景をいまだによく覚えている。
おかあがなんで「行くな」と言ってたのかと考えるに、
それは彼女が「大人」の領域に「子供」が入り込むのをとても警戒していたからなんだろうと思う。
で、私も間も無くおかあになる事だし
スッサン前に一度訪れておこうと思い、先日機会あってその路地へ出向いたのだがナント、かろうじて街の外郭は残っていたものの肝心の中身・・・居酒屋さん、魚屋さん、乾物屋さん、クリーニング屋さんなどなどの店全てが焼け落ちて廃墟になってしまっていた。
なんでも立ち退き問題で市と揉めているところを何ものかに放火されてしまったんだという。
江戸時代の振袖火事の例にもれず上からの都市計画が実施されるときって
いつでも自然発生的に繁茂する「民度の低い」街は「燃さ」れてしまうんだな。
ぐぐぅ~。
ちくしょー。
私は焼け残ったクリーニング屋さんが集っていた再建を嘆願する名簿に大きいお腹で署名した。
私の子供が大きくなるときにこういう場所が無くなると良くないと思ったからだ。
「大人」と「子供」の世界は分けるべきだと確かに思うし、
私がおかあになった時にはやっぱり「行くな」と言うかもしれないけれど、それは「臭いものに蓋」して隠せばいいってことじゃない。
で、直接関係は無いのだけれど、その放火された街のことを思い出しながら
私はぴかぴかでお洒落な競馬場を題無しにする「打つ人々」のダウナーな力を頼もしいと思った。
おんまさんがどどどどっと目の前をものすごい勢いで走っていくのだけれど、おんまさんがトラックを蹴立ててぼろぼろにしてしまうように、博徒の方たちにもどんどんぴかぴかでオサレな競馬場なんてぼろぼろにして貰いたいと思った。
「臭いものには蓋」しても「臭いもの」が「蓋から食み出る」パワーが見られて良かった。

そこにはキラリと光るお洒落な博徒もいたしね。keiba1.JPG
結局夫が5000円、私が200円負けて我々は夕暮れの競馬場をあとにした。

そのあと
駅前の夫婦お気に入りの居酒屋へ行って夫はビィル、わたしは
毒々しいピンク色のアセロラジュースを飲んだ(妊婦はアルコールだめです)。
ここの居酒屋さんも、店の前に発泡スチロールの箱と葱がむき出しで積み上げてあったり
店の中もビニール袋が沢山つり下がってたりする「ごちゃごちゃ飲食店」なのだが
肴が素晴らしく美味しくって、雰囲気も素晴らしく楽しくって夫婦とも行くたんびに幸せな気分になる。
20人も人が入れば一杯になってしまう狭い店なのだけれど、いつでも満席でお客さんも皆いい顔をして笑ってるのだ。
だし巻き卵、厚揚げ、いなごのつくだに、あじのお刺身、ホウレンソウのおひたし、と料理はシンプルなものばかりなのだけれどどれもこれも安くて美味しい。
余計なBGMも無くって時間が止まったような場所なのだ。
この日はむちむち太った白シャツの「たぺっとさん」がお客さんの中に居て
「あなたたち、素敵なカップルね!この店よく来るの?!ね!楽しいお店よね!たぁーのしいの!
また来てね!一緒にのみましょうね!」
とお店の人でも無いのに、私と夫の肩や腕をぺちぺち叩いて店をアピールしていた。
keiba2.JPG
(たぺっとさんとはいわゆるオカマさんのことです。仏語でぺちぺち叩くことをtaperタペと言い、そこからおしゃべりな人や
人をパチパチ叩くおかまさんのことをtapetteタペットと読んだりする。これはなかなかオモチロイ表現だと思うし、私は素人な

のでゲイの人たちの細かい分類が良く分からない。とりあえずたぺっとさんと統一して呼んでいる)



しかしでも
どうもこの界隈も間もなく再開発される予定らしい。そうしたらこの居酒屋さんの佇まいも失われてしまうんだろう。
私もおかあちゃんになることだし
しばらくたぺっとさんにも会えないね。
やっぱり子供と一緒に居酒屋にはこれないなあ。
でもファミレスとかマクドナルドとかアミューズメントパークとかに子供押し込んでおくのも嫌なんだよな。
理想は子供の世界から大人の世界を時々チラリズムして色々考える環境だといいな、なんて思うのだけれどな。街の光景がどんどんうすっぺらになっていく気がしてさ・・・へんな危機感を持つんだな。
子供は無害で夢があって口当たりの良い世界に保護しながら育てるべきなのか
それとも、世界は有象無象なんだから情報は統制しないで全て与えるべきなのか。
大人と子供の世界を分けるのって難しい。分からない・・・。
もう出産までそんなに間が無いのだけれど、まあ、考えながら出来るだけいろいろな空間を横断しておこう、と思った。

2月に入ってすぐインフルエンザに罹患した。
外出はほとんどしないし、近所に買い物に行く時はマスクをしていたのだが
夫さんがどこからかウィルスをもらってきたらしく夫婦して寝込んでしまった.
やー、つらかったです。
夫さんはすぐに病院で薬を処方してもらって2、3日で回復したのだが、
私は妊婦のためタミフルなど一切使用できず
ひたすら9度以上の熱に耐えるしかなかったのですわ。
そうしたら、5か月目に入りやっと治まってきてきていたつわりが何故か復活し何を食べてもすぐ戻してしまうから栄養は取れないわ、何年ぶりかで喘息の発作も起きて呼吸が乱れ眠れもしないわで「つらいよー、シクシク」と床のなかで弱音を吐いておりました。2か月程引きこもり生活をしていたので体力も落ちていたせいか、病状も一進一退でやっと通常に生活に戻れたかと思ったらば2月ももう半ばを過ぎてましたね。長かった・・・。
寝込む前日に節分の豆まきをしたのだけれど、それがいつまでも片づけられず豆のなかに寝ているのもつらかったです。
これから妊娠を予定されている方は、
冬なら各種予防接種を済ませておくことを絶対オススメしますー。
ええ、私は愚かでした。
しかし、薬を呑まなくても、食べ物が食べられなくても、呼吸がつらくても、ただひたすら耐えて寝ていると人間の身体って回復するんだー、と言う事に今回はちょっと感動した。昼も夜も朦朧としているか眠っているかをただひたすら繰り返していたのだけれど、ある眠りの回から突然劇的に汗をかくようになり、
一晩で5回もパジャマを着替える夜を3回程繰り返したら熱が下がり出し、身体のなかで何かが目覚めるように少しずつ元気になった。今日はバナナ半分、次の日はところてん、と少しずつものを食べられるようになる過程も面白かったなあー。3週間以上風呂にも入れず(これも滅多にない経験だ)、顔は垢の筋が浮かぶ程汚れきっていたのだけれど、元気になってそれをまとめて落としたらお肌はツルツルピカピカ、
妊娠して以来ガサガサに荒れて吹き出物も出来ていたのが嘘みたいにキレイになったのでした。
げっそり体重も落ちてしまったのだけれどそれと共に悪いものも出て行ったようです。
そういえば母体ははんぶん死んだようになっていたのだけれどお腹の中の赤子は矢鱈元気で、最もつらい時にもコプコプ、ポクポクと動きまくっていたなあー。それがまた奇妙な感覚だったんだよなー。
身体はひとつだけれどこころは三つ(病と無意識化で戦う意思、苦しむ私、関係なく動きまくる赤子)という風情で床のなかでは変な夢ばっかり見ました。
えなりかずきが歌う「まいにちー面白い、イェイ、毎日おもしろいーいぇい、イェイ♪」という「はちみつきんかんのどあめ」のCMソングが何故か頭から離れなくなって狂いそうになったりしていた。
ああ、あの独特の声・・・
とっても「えなりかずき」の肉声なんだけれどとっても人工的な奇妙な声、リズム感・・・
CD出したらヒットするんじゃないかしらん。

それで、病床のなかで私は「元気になったら何をしよう」ということばかり考えていたのだ。
それで、元気になったら「子供が産まれたら行けないような大人の世界を今のうち堪能しよう」と思い立ち
今まで私が大人なのにやってない事ってなんだろう・・・呑む・・・打つ・・・買う・・・うーん、「ギャンブル」だな
・・・ああ、私の住んでいるF市周辺には競馬も競輪も競艇もあるじゃないか、なぜ今まで一度も行かなかったのだろう?!
ということに熱にうなされながら気がついたのら。
熱が下がったら絶対ギャンブルをしてやる!と布団の中で決心した。
で、とある晴れた日曜日まずはソフトなギャンブルから、競馬場に行ってきました。
一人だと券の買い方など良く分からないので夫さん同伴。
お出かけするのも久しぶりだったので、出発前から私は興奮気味。
競馬といえば、紳士淑女がシルクハットや大きな帽子を被ってオペラグラスで優雅に愉しむ社交場のイメージが強かったので
私も黒いイギリス風ロングコートに、つばの広いリボンのついた臙脂色の帽子でキメてみたのだが、
夫さんの「・・・ちょっとおばさんぽい。やめれば」のひとことで却下。
若いころはおばさんぽいと云われても気にしなかったのに最近は、おばさんぽいと云われると気にしてしまう。
わたしも歳をとったものね。オホホホ。

そんなこんなで我々は競馬場行きの電車に乗り、競馬場の門の前に立った。
自宅から30分のかからないで行けるF競馬場は一年ほど前にリニューアルしたばかりなので、建物はぴかぴか。駅から競馬場にツヅク回廊にはゴミ一つ落ちてないし、蒼井優のおしゃれなポスターなんかも貼られててなんだか期待していた「打つ」やさぐれた風情を感じることができず、私は少なからずがっかりしたのだが(駅前から酔っぱらった親父達がもつ鍋に片足つっこんで券をばらまいたりわめいたりしている風景を期待していた)、奇麗なお姉さんが迎えてくれるエントランスの向こうに歩みを進めたら
そんながっかりする必要のなかったことにすぐ気づいたのだった。

→おんまとおやじ2 にツヅク

今日、知人(43歳男居酒屋経営)から電話がかかってきて
「おい、あんまり妊娠している自分に酔うな。妊娠に溺れるなよ!」と云われた。
私は本質を見抜かれてとてもびっくりした。
昔から軽薄で、調子にのりやすくそれがもとでいろいろ失敗してきたのだが、治ってないのが丸見えなのね。
気をつけようと思タ。

★なんでできたか その2

妊娠検査薬を持ったまま畳に正坐した状態で
私はもう一度「はー?」と叫んだ。
よ・・・陽性の線が出ている・・・今までどんなに気張っても出なかった赤いラインがばっちり出てるよ。
ど、どゆこと???
あらかじめ何度も「妊娠が判明する瞬間」を思い描いては自分のリアクションを想像していたにも
かかわらず(目を潤ませながら口に手をあててビャーッと天から光に照らされる図とか。天使がラッパ吹くような受胎告知の西洋絵画にちょっとかぶれていた)
実際その場面に出くわすと感動する以前にただ面喰らい
つけっぱなしのテレビがしらじらしく流れる中、微妙な表情のまましばらく茫然としてしまった。
と、とりあえず、だ、誰かに云わなくちゃ。
病院行ってきちんと確認するまで我慢するべきだろうか?それが大人の奥様の行動では無かろうか?とも思ったが、
ううむ、どうしよう、やっぱり我慢出来ぬー、とすぐに夫の携帯に電話した。
夫「はい」
ぬ「あ・・・ぬまぶんですけど」
夫「はいはい」
ぬ「・・・今日何時ころかえるの」
夫「10時位かなー」
ぬ「あー、そう・・・。」
夫「何か買ってくる?」
ぬ「いや、いらない・・・」
夫「大人しく待っててね。じゃー、またね。」
ぬ「あっあー・・・!」
夫「なに?」
ぬ「いやあ・・・あのさあ」
夫「なんかあったの」
ぬ「いやあ・・・あの・・・出来たかも・・・」
夫「・・・?」
ぬ「コ・・コ・コドモが!!`Qプ@ky!!!」
夫「ああー、そう」
ぬ「今検査薬やってみたら、よ、陽性が・・・。」
夫「そうー」
ぬ「・・・」
夫「・・・」
ぬ「・・・すごくない?」
夫「・・・まあ・・・ねえ。まだねえ。ま、帰ってからねー。」
ぬ「あのー」
夫「じゃあねー」
とアッサリ切られてしまった。
そうなのだ。
別に私の夫の態度が冷タイという事を糾弾したいわけではなくて
過去4年の間にこの手の報告を虚偽でさんざんしてしまったため
私は「狂言妊婦」と命名されるほど信用を失っていたのだった。
昔から思い込みの激しいタイプではあったのだが、本当につわりっぽくなったりして(想像妊娠というやつですね)「アア、今月はいつもと違う・・・出来たかも!」と毎月大騒ぎしては夫や実家の母親を巻き込み疲弊させてきたのでもう誰も信じてくれないのだった。
でもね、今回は見えないはずの赤い線が見えちゃったんじゃなくて「本当に」陽性なんだってば・・・と畳を引搔きながらジクジたる思いで夫が帰ってくるのを待っていた。
で、夫は帰ってきたのだけれどやっぱり信じてくれない。
いくら本当だと云っても無言で微笑みながらのらりくらりしている。
「本当だよー、信じておくれよー」ととうとう実際に赤いラインの出た検査薬を見せた。
すると
「自分でマジックで書いたんじゃないの?」

・・・そりゃあ、想像妊娠の時に、「(陽性のラインなんて)見えないけど?」という夫に
「いや、この角度から光に翳すとうっすら見えるじゃん!きっとこれは陽性かも!」とか言ってた私がいけないんだけれどさ。
結局夫は、産婦人科に行って胎嚢という赤さんの入っている袋が入っているのを確認するまで半信半疑だったようだ。
妊娠を報告する瞬間は「やったー!」と二人で手を取り合って飛び跳ねるのを想像していたので、また肩すかしをくらった風。
その後地獄のつわり週間がハジマり、私がヤマンバのような形相でオエオエしていると、
本心から心配してくれているのもほんとうだと思うのだが、
ある時とうとうこらえきれなくなったのか、夫は
「よ・・・良かったね本当につわりが来て」
と肩を震わせて笑っていた。
いや、確かに想像妊娠している時に目の前でさんざんわざとらしくオエオエして見せてたけどさ。
(夫が自室でで仕事している所に乱入して、あー、もうダメだオエーとか真っ青な顔でやってた。その時は本気だった)
そうやって、なんでもいいから人(特に夫)の気を引きたいと思ってしまうのはあさましいことだと思うけどなかなか、人の本性って治らないものなんだよ・・・。


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