06 | 2025/07 | 08 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
娘とともに自分を見失いがち。
ピヒィエェ~・・・キシェ~・・・
ピュヒャーン
ゥグッ・ブヒュヒュー
ハァ~・・・ハァアア~
ヒャシャー・・・
ピヒェ~・・・ピキャ~・・・。
(原文ママ)
★出産記 その5
博多どんたくと、ニューオリンズのマルディ・グラと、チベット僧のお声明大合唱
がいっぺんに身体の中にやって来たらこんななんだろうか(すみません、上記のいっこも行ったことないけど)。
それもガリバー旅行記のように「小人が」などというレベルでなくて
「実寸大の人々」が私のなかでエイヤー!エイヤー!とお祭りをしているかんじ。
自我はとっくに消え失せ、ただ衝撃を束ねる皮袋になってしまったぬまぶは
メメズのようにのたうち回るのであった。
いつの間にか傍らに夫がいて、腰を押したりさすったりしてくれていたのだが
それももうあんまり意味が無いというか、
夫婦の絆がどうのこうのいうよりも
人間としての権利とか尊厳のへったくれも無いかんじ。
陣痛の間隔は1分から2分。
ぬまぶはその短い時間のなかで夢と現実の間を行ったり来たりしていた。
まっ白い雪の平原にゴマつぶのような点々を空から俯瞰するが、近寄ってみるとそれは子供たちで
雪合戦の真っ最中だった
とか
我が家の脇にある旧式ポストの口がだらしなく開いたのをタバコ屋のおじさんが直そうとしている
とか
妙にクリヤァーなシークェーンスの夢を次から次へと見ては、
空中の眠りから現実へと引きづり下ろされる運動をジャギジャギと繰り返していたのである。
時間の感覚も完全に無くなり
産むも、生まれるも、自分が何をしようとしているのかも何がなんだか分からなくなった時に
「頭が見えてきた。分娩室へ!」
という助産師さんの声がした。
分娩室は隣の隣の部屋なのだが、そこを産婦は歩いて移動しなければならない。
そんなん絶対に無理!と思うのだが
どういう力の作用か
ぬまぶはファワーッと幽鬼のように立ち上がった。
「良かったわねえ、頑張るのよ!ぬまぶちゃん!」
という母の声がなんだかとても遠いところから聞こえる。
「とにかく!大きな便をするつもりでいきむのよ!!」
・・・分かったよ。ママン・・・その指示もう何度も聞いたよ・・・。
夫も、看護師さんも、廊下にいた知らない人達も
皆心配そうな顔で身体を左右の脇を寄せるのが、
スローモーションのように重く眼に映り
ああ、いつだったかの夕方にみた金八先生の
中島みゆきの「シュプレヒコールのなかぁ~」の加藤優が
逮捕されるシーンみたいだった。
分娩室に辿り着くまでにも一度陣痛の波が来て手すりに掴まりうずくまる。
うずくまりながらも
本当に?!
ぶんべん?!
頭が?
????
とやっぱり半信半疑なのだった。
分娩室に入ると
Kさんが全身深緑の医療用作業着に
深緑のシャワーキャップのようなものを被ろうとしていた。
ぽっちゃり型のKさんがそのそのような格好をするとまるでドラ●もんなのだが
正にドラ●もんのような母性と安定感を後光のように発揮して
「ハイ、上ってー。どっこいしょー」と彼女はぬまぶを分娩台の上に歓待した。
分娩室には、オルゴールの音色でサザンのなんたらいうヒット曲が癒しアレンジ
で流れていて、妙に寒々しいかんじ。
ぬまぶはやっぱり痛みでぶるぶる震えていたが
「ハイハイ、いま用意するからねー」とKさんは動じずぬまぶの股の向こうで着々と分娩の準備を進めている。
「おー、マッサージ頑張ったねー。これなら切らなくても良いかも」
そう、ぬまぶは会陰切開がどうしても怖くて嫌だったので、
Kさんの指導のもと一か月ほど毎晩会陰マッサージにこっそり励んでいたのら。
「こんなにマニアックにやって来た人、はじめてだわ。のびるのびる。」
と言われて嬉しいやらでも陣痛だわ。
「ぐわー!」
「息とめて!」
準備中に陣痛が来てもさすがKさん、動じない。
「いきんで!」
ひっくり返ったカエルの姿勢で何がなんだか分からないままぬまぶはいきんだ。
「ぶわー!」
ぶるぶるぶる・・・ゴゴゴゴゴゴゴ・・・。
「もう一度、息とめて!」
「いきんで!」
「ヴおー!」
「上手上手。やー、先生来る前に随分進んじゃったねえ」
まさにコール&レスポンス。お産はリズムだ。
ぬまぶがいきんでいる間にも準備は着々と進み、気づけば3人の助産師さんがぬまぶの股下を
囲んでいた。皆さんシャキシャキ働いてらして格好いい。頼もしい。
「キャッチ、回ります!」
ってアカゴは飛び出すのだろうか?
年配の助産師さんが、夫さんにいろいろ指示を出している。
「奥さんの唇がカサカサ!旦那さん、濡らして!」
「ハ、ハイ!」
と慌てた夫がタオルだかなんだかをびしゃっとぬまぶの口にあてる。
しかしそれがなんとなくポイントからずれていて、息が出来なくなったぬまぶは
コバヤ(夫の名)もまた追い詰められてるのな・・・と思った。
ゴゴゴゴゴゴゴ・・・ゴゴゴゴ・・・。
「ギィー!!!」
「うーん、まだ弱いかな・・・ちょっと、姿勢変えよう」
Kさんの指示で、ぬまぶはひっくり帰ったカエルの姿勢から左半身を下にむける体勢・・・即ちあの「最も陣痛を痛く感じる
ポーズ」を再びとることとなった。横向きの姿勢になったところで
Kさんがぬまぶの右脚を自分の肩の上に載せる。
「どう、苦しくない?よし。じゃあ、これでいこう!」
なんという変な姿勢か、と思ったがこれで確かに臍下丹田に力がぐんと入れやすくなった。
ゴゴゴゴゴゴ・・・ゴゴゴ・・・。
何も無いところから生まれ
道端でくるくると落ち葉を回していた風が
あっという間に巨大な竜巻に成長し、全てを呑み込みにやってくる。
ゴゴゴ
ゴゴゴ。
遠く、海鳴りのように鳴っていた痛みが
皮膚の内側に入り込み肉と骨を灼き、鋭い大きな力となって身体を射抜くと
なんとわたくしの、産もう、とする意思に連動するのだ。
「ヴーーッ!!!」
こういうことか。
こうやって『産む』のか。
こうやってわたしたちは『産ん』できたのか。
ぬまぶは分かったのだ!
「ヴヴヴヴヴヴ、ヴオー!!!!!」
ぶわぶわぶわっ
と臀部が6倍位に膨れたかと思ったその瞬間
骨盤に挟まっていた巨大な塊がガパッと外れ、突然
柔らかい、濡れた頭髪が腿の内側に触れた。
「もう一回!」
「ヴー!!!!」
「ヴオー!!!!!」
夢でも現実でも無い。
なにものかがこの世に出現しようとしている。
聞こえてはいるけれど、世界は無音なのだ。
「呼吸変えて!はい、フーッフーッフーッフーッ」
股の間にニョキッと生えたアカゴの頭が回転するのにあわせて
空間はとろとろと凝り、異様な密度に満たされている。
世界全体が身体になってしまった感じ。
傍らで夫さんが親指で涙をぬぐっている。
「はーい、出てきた、出てきた」
・・・・・・。
・・・ホんげぁ~・・・。
・・・・・・。
・・・・・・。
ホんげぁ~・・・だって。
「アハハハハハハ・・・。」
気がつくとぬまぶは大声で泣き笑いしていた。
「元気な女の子ですよー!」
・・・フんげゃぁ~。
「アッハハハハハハハ。」
本当に現れたよ、どこからか産まれたての赤ちゃんが!
うそみたい。
ああ、本当に産まれた。産まれちゃった。
どうしよう、どうしよう?
アハハハハハ。
笑いと涙に引き裂かれながら
嬉しいのか哀しいのかなんなのか
どうしたら良いのか分からない気分だったのだけれど
狭い産道を潜り抜けたせいでぼこぼこに変形した
頭と顔をくちゃくちゃにして泣き叫ぶ赤ん坊の
血と体脂に塗れた懐かしいその匂いを、
わたしは一生忘れないと思った。
以上。
後日改めて母子手帳を見たら分娩所要時間37時間10分とあった。
あー、やれやれ。よく産んだもんだ。
【付記】コバヤさんに立会出産の感想を聞いてみました。
(どうでしたか?)
コバヤ:いやー・・・すごかったよ。すごいなと思いました。
(それだけかい?という質問に)
コバヤ:いやー・・・なんというか、しんぴてきというか、こうごうしいというか
なんか、全てがはじまるじゃない?ふだん一緒にいるぬまぶさんから何かはじまるというのは
すごいじゃない?
(それだけ?)
コバヤ:・・・うーん。それだけじゃだめ?
だそうです。
ぬまぶです。
でべそになりました。
これは上から見たところ。
でべそになると、へその中央のばってんが
飛び出して来て、まさにまんがのようなでべそになっています。
このばってんがもし汚れによるものだとしたら
オリーブオイルなど塗ってめんぼうで
掃除するのが淑女のたしなみなのだろうか・・・。
よく子供のころ、テレビを見ながらへそを掘ってはお腹痛くなっていたので
ちと怖いです。
ちなみに我が家には福富織部という人が昭和初期に書いた
「臍」という奇書があり(右写真)、およそ臍に関することならもうなんでも載っているのですが、妊婦の臍の手入れについては書いてなかった。
同じ著者の「屁」という本も持っています。あと、「ふんどし」
という本があるらしくこれを手に入れれば
3大アホ本がシリーズで揃うはずのですが
まだ見つけられません。誰かもっていたら是非譲って下さい。
さて、私は夫にも出来ればセクシィなふんどしを装着してほしいと思っているのですが(ひつこく提案しては嫌がられている)、アカゴもやっぱり布おむつで育てようと思っています。自分が布ナプキンユーザーであるし、ちっと心理学をかじったことのある人ならご存じかと思いますけんど、乳幼児の「排泄」に関してはどうしても慎重にならざるを得ない気分なのですな。で、母親に輪おむつの縫い方を習い、つわり酷かりし頃から、少しでも余力があればちくちくと針を動かし、とうとう50枚縫い終わりましたよ。左写真は、おむつ用のドビー折りさらし。レトロなパッケージがカワイらスィです。
で、ちくちくついでにフェルトのこまいぬもつくりました。
なかに鈴が入っていてふると鳴ります。
雄鶏社刊「赤ちゃんへハンドメイドの贈りもの」という本に作り方が
載ってました。
しかし自分で作っただけあってよく見ると
焦点があってない・・・。
口も麻生太郎のように
曲がってるし
なんぞ子供に
影響が出ないといいのだが・・・。
こうなってくると、手作り熱が高じてきて止まらない。
もともと下手なくせに裁縫好きで、
「ああ、これが作りたい!」
と思ったら完成するまで落ち着かず、
ミシンかけながらハアハア言ってしまう変態なのです。
授乳クッションを作りました(右図)。布は夫のインドネシアみやげ。
スリングをつくりました。
布はユザワヤのワゴンセールで2メートル
1000円だったオーガニックコットンのワッフル地(これは通常価格メーター
2000円から3000円するのでかなりオトクにできました)
オーガニックコットンのはぎれで肌着も縫いました。
通常、綿の栽培にはものすごい量の農薬が使用されるらしく
綿の栽培された土地はしばらく不毛の土になってしまう。
安全性ということもあるけれど、アカゴが産まれて初めて袖を通す服くらいは
フェア・トレードのものが使用したかったんですわ。しかし、買うと高いので
つくりました。
寝ているアカゴの背中に差し込んでおく
汗取り布もたんと縫っといた。
夫が図案を描いてちくちく刺繍&アップリケ。
退院用&お宮参り用ドレスも縫ったった。
で、
現在は手ぬぐい2枚でじんべえを製作中です。
写真は、布おむつ縫うのを手伝えと言われて
おとなしく縫う夫。
苦悩しています。
夫も針を持つのは小学校以来なので
彼の縫ったおむつはへったくそで穴だらけだけど
子供が大きくなったときにおとうちゃんもおむつ縫ってくれたんだよ
ときいたらちょっと嬉しいと思うよ。
ありがとうね。
妊娠6週間めには、エコーで赤児の姿を見せてもらえる。
それまでは、体調が悪いだけでお腹のなかになんかいると言われてもあまり実感が沸かないかんじだっただ。
妊娠確定するときに胎嚢という赤児の入ってる袋の写真を見せてもらったが
その時点では月のクレーターみたいな穴が開いているだけで、まだ生き物という感じがしない。
それが、たった2週間経った後にもう一度腹の中を覗いてみると、頭でっかちだが、きちんと四肢の生えた生物がじたばたじたばた動いているのが見えるのだからたいしたもんだ。
その時の驚きといったら、隣で「をおー」と声をあげていた配偶者(既につわりで身体が言うことをきかず、検診についてきてくれた)にも忘れられ経験だったのではないかしらん。
モニターに映し出された赤児は人間というよりもミジンコそっくりで、
手足を振りながら身体全体を旋回させている動きはゾウリムシそっくりで
およそ知性を感じさせない感じなんだが、「なんてかわいらしんだろうか!と思いわたしはしやわせな気持ちになったよ。
そういえば中学1年生の時、理科が得意な訳でもないのに微生物にハマッタ事があって、
近所の池の水を掬ってきては顕微鏡で観てスケッチしたりしていた(今でもそらでミジンコやツボワムシの絵が描けます)。
なにがそんなに私のこころを捕らえていたのかというに、
微生物が植物なのか動物なのか生きているのか死んでいるのかちょっと判断しかねる存在だったからなのだ。
4ヶ月に入るころには、腹のなかのエイリアンもすっかりいっちょまえに人間の姿になってしまったのだが、
妊娠初期の頃は腹のなかで我が児がどんな姿をしているのか毎日気になって気になって仕方なく、
ちっとでも調子の良い時はネットやら本やら図書館でその手の資料を漁って自分の暗い腹の底に思いをはせていた。
受精した胚はあはじめ「胎芽」と呼ばれる分類不可能な状態から両生類、爬虫類、哺乳類と
太古からの進化の歴史をなぞるというが、そんな変身が自分の腹で起こっているかと思うと
なんだか焦るような気持ちになるのだ。今はまだ尾の生えたウーパールーパーかな、エラはもう消えて指は分かれただろうか、と想像しては「うう、見たい」と身もだえしていた。
もし自宅にエコーの機械があったなら、毎日(毎分?)画面に映し出して成長を確認しないではおれなかっただろう。
誰の子でもない自分の子がいつから「人間」になるのか私が見届けなければ!
とおかしな責任めいたものを感じていたのだけれど、
なんぜそんな風に思うかというに、「スゲー変身だ!」と単純に生命の神秘に感嘆する一方で、
妊娠という事実が「人間はいつから人間になるのか」という大問題にヒントを与えてくれるような気がするからなのだった。
昨年くらいまで、かなり本気で人間はいつから植物でも動物でも無く「人間」になるのだろうか、
というその境めのあたりにロマンというか可能性を勝手に感じていて、
それはこないだやっと提出した論文のモチーフにもしていた。
「人間は人間を殺してはいけない」というタブーは一見全人類共通のタブーのように見えるけれど
「人間は人間の仲間である人間を殺してはいけない」に変奏され、あげくのはてには人間は人間を「人間以下、豚野郎」とみなしたとたんに殺せるようになるという横滑り問題に一石投じられないかと思ってさ。
もしか「人間」の定義がもっともっと曖昧になって植物や動物、さらには鉱物なんかとの境目が流動的になったら生命倫理の限界みたいな問題に関わってくると思ったから興味があったのさ。
現行の法律では「産まれる」以前の存在は一個の人間としてカウントされない(そういえば最近乳幼児の事件被害者を0.5人とカウントして問題になった大学の先生がいたな)。
人工妊娠中絶も22週までは母体の安全を保護するという名目で合法的に実施される。
しかし、エコーとして視覚化されたことによる倫理感の変化って確実にあるんじゃないかなあ。
いままでは闇の中でのみ起こっていた生の姿が見えてしまうということ、
産声をあげた瞬間から「この世」がはじまるのであればこの世では起こりえない種を超えた変身が文字通り「見えて」しまうインパクトはやはり大きい。
それこそさっき書いたようなポータブル・エコー装置の普及も近い将来実現するのではないかしら。
それで命の値が上がるのか下がるのかあんまり良く分からないが(自分のホームページやミクシィ上でエコー映像をアップしている妊婦さんを見かけたりすると、そんな無防備に自分の腹のなかや胎児を晒していいのかい?!と複雑な気分になる)
望まない妊娠に対する警戒意識が男女ともに高まるといいなとは思う。
結局、うちの子がいつから人間になったのかは分からなかったなあ。いや、まだ人間になってないのかもしれぬな。
ただ、毎日お腹のなかで暴れまくって
(うちの子は助産師さんが驚くほど動きまくる元気な子で、最近の私はド根性ガエルのひろしのように赤児にひきづられることがよくある)おかあちゃんを当惑させるので「生きてる」のは随分前からまったくあきらかだと思うな。
普段はあまりスピリチャルだとかオカルトめいたものには惹かれない性なのだが
何故か妊娠が判明する前後に見た夢が妙に心に残っているのでそのメモ書きをば。
妊娠8ヶ月に入る現在から思い返せば
私の妊婦生活の3分の2はずーっと「なんか具合悪い」との闘いだったなあ、と
総括される。
判定薬で反応が出た時には既に体調がおもわしくなかったです。
身体全体が重だるく、何をしても通常の3倍くらい疲れるので、会社から帰ってきたら
すぐに毛布にくるまって居間でも土間でもどこでも転がってはうたたねしていた。
で、明日あたりに病院行かなくちゃなー、と思っていたある休日に半睡半醒でみたのが以下の夢。
わたしは、平地続きでスイスイ行かれる近所の駅へと自転車で向かっていた。
時節は5月か6月の雨上がりの夕方で、湿っぽくて暖かい空気がもったりと街全体に流れている。
住宅地を抜けようと角を曲がったところでものすごく大きなガジュマル(と思われる)樹に遭遇。
生い茂ったみどりの葉っぱが周りの家屋を包み込むそれ一本だけで森のような立派な樹。
それが地面から水を吸い込み生い茂ったみどりの葉の間からぶわーっと発散させているのだ。
わたしは滝のそばに立った時のようなよい気分になった。
で、その横には木造の古い二階家が枝に抱えられるように建っていて、これまた木で出来た
素朴な看板がかかっている。字を読むとどうも助産院らしいのだ。
あれ、こんな所に助産院が。知らなかったなあー。
家から近いし丁度良かったと思い、私は中に入って行った。
軽い木の戸を引くと呼び鈴が音をたてたが誰も玄関に出てくるひとはいない。
建物のなかは吹き抜けの大きな一つの部屋で、板の上には暖色のカーペットが敷いてある。どこからかポコポコと、太鼓の音や、さらさらと水の流れるような音(誰かがレインスティックを演奏しているのかと思っていた)、木の風鈴の鳴る音などがきこえてきて原始的な懐かしい雰囲気。
つくりつけの棚には素朴な木彫りの像が並べてある。つくりは古いがよく手入れの行き届いた清潔な部屋である。奥の方に細い2階に続く階段があったので私は靴を脱いで上っていった。
狭く暗い階段をのぼきると一階と同じつくりの部屋に、数人の老女ともう少し若い壮年の女性がくるわ座になっていた。
彼女らはそれぞれ個性的な布を頭や腕や腰に巻いていて、肌の色も眼の色もあいまいで、皺の刻まれた顔はそれぞれどこの国の人なのか良くわからなくなっているのだが、全員が全員経験に裏打ちされた知性に洗われたような眼をしている。
彼女らが一斉にこちらの方を向くと、私は「ああ、こんな立派な人達の視線を浴びてしまっているのに、内容のない人間で恥ずかしいなあ」と恐縮した。
そのうちの一人が「こちらへ」と案内するので私は上着を脱いで部屋の奥の方へと進んでいった。
そこには体重計のような台が置いてあったのだが、その丸い計測盤の部分がふたまたに分かれて丁度おなかをあてる形になっている。
私はその部分に自分のお腹をあてた。
少し不安な気がしたが、案内してくれた老女の方を見ると「サァ、行け!」という表情をしている。
意を決して眼をつむり、子宮を支点にして出染め式の要領で私は「ハッ」とバランスを取った。
するとぐぃーんと計測台の支柱が伸びて私は天井すれすれのところで「ひこうき」のポーズを華麗に描いていた。ちっともお腹に負担はかからない。私は軽やかで晴れやかで伸びやかな気持ちになった。老女達はやんややんやの拍手。
「いやあー、これはいい子が産まれるよ!」「良かった良かった」と口々に話しあっている。
あー、やっぱり妊娠しているのねとわたしはひこうきのポーズのまま確信したのだった。
・・・
妊娠すると妊婦は睡眠の質が変わるらしく(具体的にはノンレム睡眠が減りレム睡眠が増えるそうです)
浅い眠りのなかでやけにはっきりした夢を見る事が多いのですがこの夢は、その後数々遭遇することになる奇妙な夢の群生の第一弾となるものだったので
やけに印象に残っているのです。内容的にもデタラメっちゃあデタラメなのですが奇妙な多幸感に包まれていたので、その後の生活で心身の不安に襲われた時にはよくこの夢の内容を思い出して自分のこころをなだめていた。夢の内容を現実と結びつけて現実をなんちゃらしようとかは思わないのですが、わたしの場合夢の内容が実生活に占める割合も大きいのだなあということを最近良く思います。
夢のなかで、老女たちが「仲間」として応援してくれている雰囲気がとても嬉しかったのでありますが、彼女達は果たして経産婦だったのだろうか?
これに関してはなんだか気にかかっていることが一つありますのだな。
それはある女性カウンセラーの知人の悩みについてです。
彼女はおもに「女性問題相談」というのを受ける仕事を公的機関でしているのですが、「女性問題」といってもどこからどこまでが女性問題なのか線引は難しく、実際、深刻なDVの相談から嫁姑問題まで幅広くいろいろ対処しているようでしたが、自身も不妊でたいへん悩んでいたんだな。
その人に、どうして子供を持ちたいと思うのか聞いてみたらば、経産婦の相談者に
「あなたのように出産も経験していない人に私の悩みが分かるわけが無い」と非難されることがとても多く、「そう言われるとね・・・本当にどう返せばいいのか分からなくなっちゃうんだよね・・・」と答えた。
でもさ、裏を返せば不妊で悩む女性に
「子供が授からなくたっていいじゃない」と言うべき局面も必要なはずなんだがな。
そんなにも子供を産んだ女性と産まない女性の間には決定的な距離が・・・知性も乗り越えることの出来ない距離が出来てしまうもんなのだろうか?
男性は男性であってヒエラルキーはあるだろうけれど分断はされていないよね。女性達はなんで文化的・また身体的な理由によってモザイク状に分断されているんだろう、とずっと疑問に思っている。歳とった女たちが性を謳歌する若い女性を必要以上に非難したり、ね。年取った男が若い男性の性を非難することはあんまりない。それどころか謳歌できるようにいらんところに連れて行ったりする)
働いていても既婚/未婚、生理痛が軽い/重い、年齢の違いなどで、随分つきあいが難しかった。母親世代を見てても主婦と、働く女性の間の溝って大きかったよなあ・・・。
これから自分が子育てに埋没していくと、これまでの女ともだちとの関係も変わっていくのかな?とちらっと想像してなんとなくサビシイ気分になったりもするのだが
しかしまあ、あの夢は夢ではあるんだけれど、なんだか希望めいたものを感じさせる雰囲気だったので大切にしたいと思ったのら。
いろんな哲学者が「女性どうしに友情は成り立たぬ」とかしたり顔で言ってるけどさ、難しいけどなんか出来るんじゃないか、という希望をちらっと感じたのら。
そも我々夫婦が、「子供が欲しい、つくろう!」と積極的に思い立ったのは約2年半前のはなし。
結婚をしたのは4年前で、その間もきちっと避妊していた訳ではなかった。
通常の夫婦生活を送って2年以内に子供を授からない場合は、医学上
「不妊」と診断されるらしいので私達は病院に行ったら「不妊カップル」と認定されていたのだと思う。
確かに、まわりの夫婦を見ていると結婚したら1年以内に妊娠するケースがほとんどだったので
去年あたりの私は、気にしないでおこうと思いつつも漠然とした不安を抱いていた。
しかし、自分が「不妊」なんじゃないかと疑うのは精神的に大変負荷のかかる経験だ。
夫婦で妊娠を望んでいる場合
自分が原因の不妊だったら、問題の無い夫に対してとても申し訳ないと思うし
夫が原因であっても夫婦の間に新しい関係性を構築する必要が出るだろう。
ネットで一度「不妊治療」に関する掲示板など覗いてみると分かるが
本気で子供を望むのならば
「不妊」をめぐる非常に複雑で重い問題と組み合わなければならない。
私の場合は深淵の入口に立ってそこを覗きつつ、本格的に脚をつっこむのを怖れていたかたちだ。
ちょうど一番ナーバスになっていた時期に
柳澤伯夫元厚生労働大臣の「産む機械」発言があったのだが
私のこころもざわざわしたのをよく覚えている。
発言全体の内容を読んでみると、別にそんな差別的な意味あいは無く「生産」という観点から数珠つなぎ的に「機械」発言に至ったのだと推測されるが
何故この言葉に反応したのかというに
「生殖」を工場かなんかでなされる「生産」に例え、「女性=産む人」の図式に還元してしまうノーテンキさに暗い気持ちになったんだな。あー、やっぱり大臣の考える「社会」じゃ女性というのはそういうのっぺりした存在として扱われるのね。
もし私が石女だったら社会に貢献しないダメマシンとして参加資格もなしなのね、と思った。
この人は奥さんもキャリアウーマンで、娘さん達の育児も率先して手伝ったりするよき家庭人の面もあったりするらしいが、
「女性=産む人」という発想はようするに「女性=お母さん」ちゅーことで、自分を産んだ母親タイプの女性以外の存在を知らないマザコンなんじゃないか?と思った。
この人といい、「美しい日本」に美しい家庭を出現させようとして母方の祖父の話ばっかりしてた首相(父型の祖父だって安倍寛という立派な政治家だ)といい、
バンソウコウ貼って出てきて理由を言わなかった人といい
安部内閣はなーんかマザコン臭の強い内閣だった印象があるな。
いや、広義のマザコン探知機にひっかからない男の人なんていないとは思うのだがマザコンに対してあまりにも無防備な内閣というか
・・・まあ、いいや。
その事についてはまた今度
(自分の子供もマザコンかも知れないし)。
そんな風に全然子供が出来なかったのだけれど
突然妊娠した私が今から思うにこれをやっていたから体質改善されて良かったんじゃないかということを以下に列記してみます。
印象的だったのは、妊娠した月のはじまり、つまり最終月経が今までになく穏やかに過ぎた事。
ミドルティーンになる位から生理痛が悪化し毎月鎮痛剤を手放せず、それもきかなくなり年に数回は
冷や汗をかいてぶっ倒れてしまう生理痛持ちだったのだけれど、
今回は本当に「全く」お腹が痛くなかったのです。そんな事本当に10何年振りの経験だった。
生理痛の酷い人はその改善からはじめると良いかもしれません。
・妊娠した月のひと月前から、生姜をすった汁とレモン汁を混ぜてお湯で割ったものを寝る前に毎日欠かさず呑んでいた。これは仕事で穴をあけられなかったので風邪予防にと続けていたのだけれど、手足がホカホカして「冷え」が改善されていくのが自分でも良く分かった。「冷え」は女性の敵という言葉を甘く見てはいけない、と実感したのでした。
・同じく風邪予防と血流を良くしたいとの観点から梅肉エキスを毎日ひとさじなめていた。
・生理前にヘナをすると生理痛が改善される事に気付き、妊娠した月も最終月経日の2日前にヘナをした。頭に塗ったまま途中でうたたねなどをして3時間程放置する。心も落ち着くし頭もスッキリする感じで、PMS(月経前緊張症)にも効果あると勝手に思っていた。ケミカルな毛染め染料とは本質的に別ものなので100パーセントオーガニックのものが良いでしょう(毛染め効果を高めるためにケミカルな染料が混ざっているヘナもあるので注意)。私が愛用しているのはナイアードという会社の「ヘナ+10種類のハーブ」です。
・1年前から布ナプキンを使用。これはネットで生理痛が軽減するらしいと知って使いはじめたのですけれど、目から鱗の「いいもん」でした。紙ナプキンに比べてほこほこして温かいのです。これを使い始めてから生理痛は劇的に改善されました。
人によって体質も違うかと思いますが、
自分でいろいろ試行錯誤してみるのも無駄では無いかなー、と今となっては思っております。