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娘とともに自分を見失いがち。
リニューアルしたてのF競馬場は確かに内も外もぴかぴかで、
老若男女全てがアミューズ出来るというふれこみ通り一見ディズニーランドのような、
万人に親しげな表情をしているのだが、「打つ」人々のエネルギーが圧倒的に「ハコ」を圧倒しているというか、プロの清掃員の人たちが瞬時に片つけるからゴミは無いんだけれどゴミだらけというか、とにかく心ここにあらぬ人が沢山いて、わさわさしていたので私は嬉しくなった。
建物の内装は地中海風というか作りものの葡萄がコリント式(?よく分からない。適当なことを言っている)円柱に蔓をからめたりしてるんだけれども、天使が舞う巨大な西洋絵画の下で、人々は皆靴脱いで競馬新聞を敷物変わりに広げて焼き鳥食べたり予想をたてたりしているんだ。
おっさん達のファッションは一様にスニーカーウィンドブレーカーにニットキャップ。
だだっ広いトラックをおんまさんの群れがドドドドと横切るたびに「刺せっ!さーせぇー!」だとか
結果が出れば「間違ってんじゃねえーのか?!」とか充血した目でさけんでいる。時には怒って物を投げている。
そして乳幼児をバギーごと連れ込んで、ベンチの上だろうとテラス席のテーブルの上だろうと所構わずおむつを替えたりしている家族連れが結構たくさん来ていた。
なんだ、別に「出産前にはデビュウを済ませておかねば!」
などと気負う必要も無かったのかもしれぬな、と思った。
前の記事で「打つ」を是非やりたいなんて書いたが、結局呑みこみが悪いせいで配当金のしくみとかなんだか理解できず100円分だけ単賞の馬券を買って貰い、
あとは美味しいやきそばやフライドチキンを食べつつ私はひたすら競馬場に集う人々の様子を見ていた。
それだけで満足。
何故だか私は昔からこういった「良識派なら眉を潜める」
もっと云えば「民度の低い(UCLA帰りの日本人学者様が駅で煙草を吸うおっさんについて汚いものを見るような調子でこう表現していた。民度が低いって悪い事なのかしらん?)場所」が好きだ。
私は大人も子供も状況に巻き込まれてむき出しの顔をしている空間が好きなんだよなー。
子供の頃住んでいた新興住宅地の沿線を少し外れたところには、ヤミ市の風情をそのまま残す
ごちゃごちゃ街があった。昼間っからラジオの演歌が流れる中酔っぱらったおっさん達がごろごろ転がっているような「路地」だ。
わたくしの両親(特に母親)は結構厳しくいろいろ神経を使う人で、
平素、そこの通りには「なるべく行くな」と言われて
いたのだけれど、独特な活気に惹かれて「通らないと図書館に行けない」などと理由をつけてはちょくちょく通っていた。
それで、嗅いだ事の無い肉の焼ける匂いとドブの匂いが混ざる中
焼き鳥屋で管を巻くおっさんの赤い顔や「ホッピー」「モツ煮」「雀の丸焼き」などの謎のメニュー書き
を横目で観察したその光景をいまだによく覚えている。
おかあがなんで「行くな」と言ってたのかと考えるに、
それは彼女が「大人」の領域に「子供」が入り込むのをとても警戒していたからなんだろうと思う。
で、私も間も無くおかあになる事だし
スッサン前に一度訪れておこうと思い、先日機会あってその路地へ出向いたのだがナント、かろうじて街の外郭は残っていたものの肝心の中身・・・居酒屋さん、魚屋さん、乾物屋さん、クリーニング屋さんなどなどの店全てが焼け落ちて廃墟になってしまっていた。
なんでも立ち退き問題で市と揉めているところを何ものかに放火されてしまったんだという。
江戸時代の振袖火事の例にもれず上からの都市計画が実施されるときって
いつでも自然発生的に繁茂する「民度の低い」街は「燃さ」れてしまうんだな。
ぐぐぅ~。
ちくしょー。
私は焼け残ったクリーニング屋さんが集っていた再建を嘆願する名簿に大きいお腹で署名した。
私の子供が大きくなるときにこういう場所が無くなると良くないと思ったからだ。
「大人」と「子供」の世界は分けるべきだと確かに思うし、
私がおかあになった時にはやっぱり「行くな」と言うかもしれないけれど、それは「臭いものに蓋」して隠せばいいってことじゃない。
で、直接関係は無いのだけれど、その放火された街のことを思い出しながら
私はぴかぴかでお洒落な競馬場を題無しにする「打つ人々」のダウナーな力を頼もしいと思った。
おんまさんがどどどどっと目の前をものすごい勢いで走っていくのだけれど、おんまさんがトラックを蹴立ててぼろぼろにしてしまうように、博徒の方たちにもどんどんぴかぴかでオサレな競馬場なんてぼろぼろにして貰いたいと思った。
「臭いものには蓋」しても「臭いもの」が「蓋から食み出る」パワーが見られて良かった。
そこにはキラリと光るお洒落な博徒もいたしね。
結局夫が5000円、私が200円負けて我々は夕暮れの競馬場をあとにした。
そのあと
駅前の夫婦お気に入りの居酒屋へ行って夫はビィル、わたしは
毒々しいピンク色のアセロラジュースを飲んだ(妊婦はアルコールだめです)。
ここの居酒屋さんも、店の前に発泡スチロールの箱と葱がむき出しで積み上げてあったり
店の中もビニール袋が沢山つり下がってたりする「ごちゃごちゃ飲食店」なのだが
肴が素晴らしく美味しくって、雰囲気も素晴らしく楽しくって夫婦とも行くたんびに幸せな気分になる。
20人も人が入れば一杯になってしまう狭い店なのだけれど、いつでも満席でお客さんも皆いい顔をして笑ってるのだ。
だし巻き卵、厚揚げ、いなごのつくだに、あじのお刺身、ホウレンソウのおひたし、と料理はシンプルなものばかりなのだけれどどれもこれも安くて美味しい。
余計なBGMも無くって時間が止まったような場所なのだ。
この日はむちむち太った白シャツの「たぺっとさん」がお客さんの中に居て
「あなたたち、素敵なカップルね!この店よく来るの?!ね!楽しいお店よね!たぁーのしいの!
また来てね!一緒にのみましょうね!」
とお店の人でも無いのに、私と夫の肩や腕をぺちぺち叩いて店をアピールしていた。
(たぺっとさんとはいわゆるオカマさんのことです。仏語でぺちぺち叩くことをtaperタペと言い、そこからおしゃべりな人や
人をパチパチ叩くおかまさんのことをtapetteタペットと読んだりする。これはなかなかオモチロイ表現だと思うし、私は素人な
のでゲイの人たちの細かい分類が良く分からない。とりあえずたぺっとさんと統一して呼んでいる)
しかしでも
どうもこの界隈も間もなく再開発される予定らしい。そうしたらこの居酒屋さんの佇まいも失われてしまうんだろう。
私もおかあちゃんになることだし
しばらくたぺっとさんにも会えないね。
やっぱり子供と一緒に居酒屋にはこれないなあ。
でもファミレスとかマクドナルドとかアミューズメントパークとかに子供押し込んでおくのも嫌なんだよな。
理想は子供の世界から大人の世界を時々チラリズムして色々考える環境だといいな、なんて思うのだけれどな。街の光景がどんどんうすっぺらになっていく気がしてさ・・・へんな危機感を持つんだな。
子供は無害で夢があって口当たりの良い世界に保護しながら育てるべきなのか
それとも、世界は有象無象なんだから情報は統制しないで全て与えるべきなのか。
大人と子供の世界を分けるのって難しい。分からない・・・。
もう出産までそんなに間が無いのだけれど、まあ、考えながら出来るだけいろいろな空間を横断しておこう、と思った。
2月に入ってすぐインフルエンザに罹患した。
外出はほとんどしないし、近所に買い物に行く時はマスクをしていたのだが
夫さんがどこからかウィルスをもらってきたらしく夫婦して寝込んでしまった.
やー、つらかったです。
夫さんはすぐに病院で薬を処方してもらって2、3日で回復したのだが、
私は妊婦のためタミフルなど一切使用できず
ひたすら9度以上の熱に耐えるしかなかったのですわ。
そうしたら、5か月目に入りやっと治まってきてきていたつわりが何故か復活し何を食べてもすぐ戻してしまうから栄養は取れないわ、何年ぶりかで喘息の発作も起きて呼吸が乱れ眠れもしないわで「つらいよー、シクシク」と床のなかで弱音を吐いておりました。2か月程引きこもり生活をしていたので体力も落ちていたせいか、病状も一進一退でやっと通常に生活に戻れたかと思ったらば2月ももう半ばを過ぎてましたね。長かった・・・。
寝込む前日に節分の豆まきをしたのだけれど、それがいつまでも片づけられず豆のなかに寝ているのもつらかったです。
これから妊娠を予定されている方は、
冬なら各種予防接種を済ませておくことを絶対オススメしますー。
ええ、私は愚かでした。
しかし、薬を呑まなくても、食べ物が食べられなくても、呼吸がつらくても、ただひたすら耐えて寝ていると人間の身体って回復するんだー、と言う事に今回はちょっと感動した。昼も夜も朦朧としているか眠っているかをただひたすら繰り返していたのだけれど、ある眠りの回から突然劇的に汗をかくようになり、
一晩で5回もパジャマを着替える夜を3回程繰り返したら熱が下がり出し、身体のなかで何かが目覚めるように少しずつ元気になった。今日はバナナ半分、次の日はところてん、と少しずつものを食べられるようになる過程も面白かったなあー。3週間以上風呂にも入れず(これも滅多にない経験だ)、顔は垢の筋が浮かぶ程汚れきっていたのだけれど、元気になってそれをまとめて落としたらお肌はツルツルピカピカ、
妊娠して以来ガサガサに荒れて吹き出物も出来ていたのが嘘みたいにキレイになったのでした。
げっそり体重も落ちてしまったのだけれどそれと共に悪いものも出て行ったようです。
そういえば母体ははんぶん死んだようになっていたのだけれどお腹の中の赤子は矢鱈元気で、最もつらい時にもコプコプ、ポクポクと動きまくっていたなあー。それがまた奇妙な感覚だったんだよなー。
身体はひとつだけれどこころは三つ(病と無意識化で戦う意思、苦しむ私、関係なく動きまくる赤子)という風情で床のなかでは変な夢ばっかり見ました。
えなりかずきが歌う「まいにちー面白い、イェイ、毎日おもしろいーいぇい、イェイ♪」という「はちみつきんかんのどあめ」のCMソングが何故か頭から離れなくなって狂いそうになったりしていた。
ああ、あの独特の声・・・
とっても「えなりかずき」の肉声なんだけれどとっても人工的な奇妙な声、リズム感・・・
CD出したらヒットするんじゃないかしらん。
それで、病床のなかで私は「元気になったら何をしよう」ということばかり考えていたのだ。
それで、元気になったら「子供が産まれたら行けないような大人の世界を今のうち堪能しよう」と思い立ち
今まで私が大人なのにやってない事ってなんだろう・・・呑む・・・打つ・・・買う・・・うーん、「ギャンブル」だな
・・・ああ、私の住んでいるF市周辺には競馬も競輪も競艇もあるじゃないか、なぜ今まで一度も行かなかったのだろう?!
ということに熱にうなされながら気がついたのら。
熱が下がったら絶対ギャンブルをしてやる!と布団の中で決心した。
で、とある晴れた日曜日まずはソフトなギャンブルから、競馬場に行ってきました。
一人だと券の買い方など良く分からないので夫さん同伴。
お出かけするのも久しぶりだったので、出発前から私は興奮気味。
競馬といえば、紳士淑女がシルクハットや大きな帽子を被ってオペラグラスで優雅に愉しむ社交場のイメージが強かったので
私も黒いイギリス風ロングコートに、つばの広いリボンのついた臙脂色の帽子でキメてみたのだが、
夫さんの「・・・ちょっとおばさんぽい。やめれば」のひとことで却下。
若いころはおばさんぽいと云われても気にしなかったのに最近は、おばさんぽいと云われると気にしてしまう。
わたしも歳をとったものね。オホホホ。
そんなこんなで我々は競馬場行きの電車に乗り、競馬場の門の前に立った。
自宅から30分のかからないで行けるF競馬場は一年ほど前にリニューアルしたばかりなので、建物はぴかぴか。駅から競馬場にツヅク回廊にはゴミ一つ落ちてないし、蒼井優のおしゃれなポスターなんかも貼られててなんだか期待していた「打つ」やさぐれた風情を感じることができず、私は少なからずがっかりしたのだが(駅前から酔っぱらった親父達がもつ鍋に片足つっこんで券をばらまいたりわめいたりしている風景を期待していた)、奇麗なお姉さんが迎えてくれるエントランスの向こうに歩みを進めたら
そんながっかりする必要のなかったことにすぐ気づいたのだった。
→おんまとおやじ2 にツヅク
そも我々夫婦が、「子供が欲しい、つくろう!」と積極的に思い立ったのは約2年半前のはなし。
結婚をしたのは4年前で、その間もきちっと避妊していた訳ではなかった。
通常の夫婦生活を送って2年以内に子供を授からない場合は、医学上
「不妊」と診断されるらしいので私達は病院に行ったら「不妊カップル」と認定されていたのだと思う。
確かに、まわりの夫婦を見ていると結婚したら1年以内に妊娠するケースがほとんどだったので
去年あたりの私は、気にしないでおこうと思いつつも漠然とした不安を抱いていた。
しかし、自分が「不妊」なんじゃないかと疑うのは精神的に大変負荷のかかる経験だ。
夫婦で妊娠を望んでいる場合
自分が原因の不妊だったら、問題の無い夫に対してとても申し訳ないと思うし
夫が原因であっても夫婦の間に新しい関係性を構築する必要が出るだろう。
ネットで一度「不妊治療」に関する掲示板など覗いてみると分かるが
本気で子供を望むのならば
「不妊」をめぐる非常に複雑で重い問題と組み合わなければならない。
私の場合は深淵の入口に立ってそこを覗きつつ、本格的に脚をつっこむのを怖れていたかたちだ。
ちょうど一番ナーバスになっていた時期に
柳澤伯夫元厚生労働大臣の「産む機械」発言があったのだが
私のこころもざわざわしたのをよく覚えている。
発言全体の内容を読んでみると、別にそんな差別的な意味あいは無く「生産」という観点から数珠つなぎ的に「機械」発言に至ったのだと推測されるが
何故この言葉に反応したのかというに
「生殖」を工場かなんかでなされる「生産」に例え、「女性=産む人」の図式に還元してしまうノーテンキさに暗い気持ちになったんだな。あー、やっぱり大臣の考える「社会」じゃ女性というのはそういうのっぺりした存在として扱われるのね。
もし私が石女だったら社会に貢献しないダメマシンとして参加資格もなしなのね、と思った。
この人は奥さんもキャリアウーマンで、娘さん達の育児も率先して手伝ったりするよき家庭人の面もあったりするらしいが、
「女性=産む人」という発想はようするに「女性=お母さん」ちゅーことで、自分を産んだ母親タイプの女性以外の存在を知らないマザコンなんじゃないか?と思った。
この人といい、「美しい日本」に美しい家庭を出現させようとして母方の祖父の話ばっかりしてた首相(父型の祖父だって安倍寛という立派な政治家だ)といい、
バンソウコウ貼って出てきて理由を言わなかった人といい
安部内閣はなーんかマザコン臭の強い内閣だった印象があるな。
いや、広義のマザコン探知機にひっかからない男の人なんていないとは思うのだがマザコンに対してあまりにも無防備な内閣というか
・・・まあ、いいや。
その事についてはまた今度
(自分の子供もマザコンかも知れないし)。
そんな風に全然子供が出来なかったのだけれど
突然妊娠した私が今から思うにこれをやっていたから体質改善されて良かったんじゃないかということを以下に列記してみます。
印象的だったのは、妊娠した月のはじまり、つまり最終月経が今までになく穏やかに過ぎた事。
ミドルティーンになる位から生理痛が悪化し毎月鎮痛剤を手放せず、それもきかなくなり年に数回は
冷や汗をかいてぶっ倒れてしまう生理痛持ちだったのだけれど、
今回は本当に「全く」お腹が痛くなかったのです。そんな事本当に10何年振りの経験だった。
生理痛の酷い人はその改善からはじめると良いかもしれません。
・妊娠した月のひと月前から、生姜をすった汁とレモン汁を混ぜてお湯で割ったものを寝る前に毎日欠かさず呑んでいた。これは仕事で穴をあけられなかったので風邪予防にと続けていたのだけれど、手足がホカホカして「冷え」が改善されていくのが自分でも良く分かった。「冷え」は女性の敵という言葉を甘く見てはいけない、と実感したのでした。
・同じく風邪予防と血流を良くしたいとの観点から梅肉エキスを毎日ひとさじなめていた。
・生理前にヘナをすると生理痛が改善される事に気付き、妊娠した月も最終月経日の2日前にヘナをした。頭に塗ったまま途中でうたたねなどをして3時間程放置する。心も落ち着くし頭もスッキリする感じで、PMS(月経前緊張症)にも効果あると勝手に思っていた。ケミカルな毛染め染料とは本質的に別ものなので100パーセントオーガニックのものが良いでしょう(毛染め効果を高めるためにケミカルな染料が混ざっているヘナもあるので注意)。私が愛用しているのはナイアードという会社の「ヘナ+10種類のハーブ」です。
・1年前から布ナプキンを使用。これはネットで生理痛が軽減するらしいと知って使いはじめたのですけれど、目から鱗の「いいもん」でした。紙ナプキンに比べてほこほこして温かいのです。これを使い始めてから生理痛は劇的に改善されました。
人によって体質も違うかと思いますが、
自分でいろいろ試行錯誤してみるのも無駄では無いかなー、と今となっては思っております。
今日、知人(43歳男居酒屋経営)から電話がかかってきて
「おい、あんまり妊娠している自分に酔うな。妊娠に溺れるなよ!」と云われた。
私は本質を見抜かれてとてもびっくりした。
昔から軽薄で、調子にのりやすくそれがもとでいろいろ失敗してきたのだが、治ってないのが丸見えなのね。
気をつけようと思タ。
★なんでできたか その2
妊娠検査薬を持ったまま畳に正坐した状態で
私はもう一度「はー?」と叫んだ。
よ・・・陽性の線が出ている・・・今までどんなに気張っても出なかった赤いラインがばっちり出てるよ。
ど、どゆこと???
あらかじめ何度も「妊娠が判明する瞬間」を思い描いては自分のリアクションを想像していたにも
かかわらず(目を潤ませながら口に手をあててビャーッと天から光に照らされる図とか。天使がラッパ吹くような受胎告知の西洋絵画にちょっとかぶれていた)
実際その場面に出くわすと感動する以前にただ面喰らい
つけっぱなしのテレビがしらじらしく流れる中、微妙な表情のまましばらく茫然としてしまった。
と、とりあえず、だ、誰かに云わなくちゃ。
病院行ってきちんと確認するまで我慢するべきだろうか?それが大人の奥様の行動では無かろうか?とも思ったが、
ううむ、どうしよう、やっぱり我慢出来ぬー、とすぐに夫の携帯に電話した。
夫「はい」
ぬ「あ・・・ぬまぶんですけど」
夫「はいはい」
ぬ「・・・今日何時ころかえるの」
夫「10時位かなー」
ぬ「あー、そう・・・。」
夫「何か買ってくる?」
ぬ「いや、いらない・・・」
夫「大人しく待っててね。じゃー、またね。」
ぬ「あっあー・・・!」
夫「なに?」
ぬ「いやあ・・・あのさあ」
夫「なんかあったの」
ぬ「いやあ・・・あの・・・出来たかも・・・」
夫「・・・?」
ぬ「コ・・コ・コドモが!!`Qプ@ky!!!」
夫「ああー、そう」
ぬ「今検査薬やってみたら、よ、陽性が・・・。」
夫「そうー」
ぬ「・・・」
夫「・・・」
ぬ「・・・すごくない?」
夫「・・・まあ・・・ねえ。まだねえ。ま、帰ってからねー。」
ぬ「あのー」
夫「じゃあねー」
とアッサリ切られてしまった。
そうなのだ。
別に私の夫の態度が冷タイという事を糾弾したいわけではなくて
過去4年の間にこの手の報告を虚偽でさんざんしてしまったため
私は「狂言妊婦」と命名されるほど信用を失っていたのだった。
昔から思い込みの激しいタイプではあったのだが、本当につわりっぽくなったりして(想像妊娠というやつですね)「アア、今月はいつもと違う・・・出来たかも!」と毎月大騒ぎしては夫や実家の母親を巻き込み疲弊させてきたのでもう誰も信じてくれないのだった。
でもね、今回は見えないはずの赤い線が見えちゃったんじゃなくて「本当に」陽性なんだってば・・・と畳を引搔きながらジクジたる思いで夫が帰ってくるのを待っていた。
で、夫は帰ってきたのだけれどやっぱり信じてくれない。
いくら本当だと云っても無言で微笑みながらのらりくらりしている。
「本当だよー、信じておくれよー」ととうとう実際に赤いラインの出た検査薬を見せた。
すると
「自分でマジックで書いたんじゃないの?」
・・・そりゃあ、想像妊娠の時に、「(陽性のラインなんて)見えないけど?」という夫に
「いや、この角度から光に翳すとうっすら見えるじゃん!きっとこれは陽性かも!」とか言ってた私がいけないんだけれどさ。
結局夫は、産婦人科に行って胎嚢という赤さんの入っている袋が入っているのを確認するまで半信半疑だったようだ。
妊娠を報告する瞬間は「やったー!」と二人で手を取り合って飛び跳ねるのを想像していたので、また肩すかしをくらった風。
その後地獄のつわり週間がハジマり、私がヤマンバのような形相でオエオエしていると、
本心から心配してくれているのもほんとうだと思うのだが、
ある時とうとうこらえきれなくなったのか、夫は
「よ・・・良かったね本当につわりが来て」
と肩を震わせて笑っていた。
いや、確かに想像妊娠している時に目の前でさんざんわざとらしくオエオエして見せてたけどさ。
(夫が自室でで仕事している所に乱入して、あー、もうダメだオエーとか真っ青な顔でやってた。その時は本気だった)
そうやって、なんでもいいから人(特に夫)の気を引きたいと思ってしまうのはあさましいことだと思うけどなかなか、人の本性って治らないものなんだよ・・・。
ちなみに夫も私もいつ子供をつくったのかその営みを覚えていない・・・。
うーん、これは惜しいことをしたものだ。
自分は自分の両親がどんな風に自分をつくったのか子供のころからたいへん興味があったけど、
さすがに直接聞くことはできずもやもやしてたので、
自分が妊娠するときにはその顛末をつぶさに観察しようと思っていたのだがなあ。
子供つくるセックスは神聖で、それ以外は汚らわしいのか?とか
「本当のところ」はどんなものか知りたかったのら。
それで将来子供を性教育する時に
「愛の交歓は素晴らしい経験だった。お母様はお父様を、お父様はお母様の存在をそれぞれ
救ってさしあげたのヨ。
それは全ての意味を超越するビッグ・バンなのヨ」
とかなんとか眼を潤ませながら力説したかったのですが
結局一緒にご飯を食べてぼーっとくだらないテレビ観て、疲れたら寝てという日常生活のなかに、
思春期の時にはあんなに特別だった「性」もいつのまにか組み込まれてて、
忘れた頃にいきなりでけてたよという感じです。
感動するでも深刻ぶるでもない淡々としたいとなみの中で出来たわけですね。
本当に子供が欲しいよーと思い詰めてた時は基礎体温測ったり、いろいろ気を付けたりしていたんだけど
10月にはもう、何もかもめんどくさくなって半ば自棄になって仕事していたんです。
「あんまり神経質になるとできるものもできんよ」などと母親に言われて
「何でそういう根拠のないフィーリング論を展開するかな」などと反発していたのですが
結局その通りだったので民間伝承もばかにならないと思った。
生理予定日から一日経った日に、検査薬で
妊娠に気づいたわけですが
その日はマネキンを検索したあと、なんだかとても疲れて、
あーこりゃ夏からノンストップだった仕事の疲れが溜まっておるわとソファでうたた寝。
夕方頃なんとはなしにNHKの
里山保育のテレビ番組を見ていたのです。
粗暴な男の子がいて皆と仲良くしたいのに友達をぶってしまったりして
葛藤している姿が非常ーに胸に迫り、なんでこんなに涙が出るんだろうという位ぼろぼろ泣いていた。
そのあと何故か読み返したくなって高室弓生の「ニタイとキナナ」という縄文時代の夫婦が主人公のマンガを読み返していたのだ。(このマンガにはホゼと呼ばれる受胎告知の場面とか、男陣痛の話とか古代の妊娠・出産にまつわるエピソードが盛り込まれててとても面白い)
縄文時代は月経と出産を司る水神様(アッ・カムイ)が神々のなかでも最強で
月経中の女性や出産を控えた女性は、この水神様が憑いている状態なので
「産屋」と呼ばれる小屋に暮らし、他の神様に影響を与えないようにしていたんだそうだ。
昭和のはじめくらいまでは「産屋」もまだそこいらへんの農村に残っていて
それは後に、女性を「汚れ」と見なしていた差別の象徴だとか非難されたりしていたけれども
縄文時代までさかのぼると女系社会だから意味も変わるのねー、どこで権力関係が捩じれたんだろう?
などと思いをはせていたところ
ふと「あれ、今月生理まだ来ないな(毎月きっちり28日周期でくる)」ということに気付いた。
まあ、試しにやってみっかと一本残っていた妊娠検査薬を持ってトイレに行ってみることにしたのです。
(通常検査薬は整理予定日から1週間後に使用するものなのだが、この時はなんかとにかく
やってみた方がいい気がした)
で結果が出るまで2,3分かかるので居間で待とうと
使用済検査薬を持って廊下を歩いていたら、はたして手のなかのスティックに
見る見る赤い陽性ラインが出るではないか。
「・・・はー???」
思わず1人で叫び、畳の上に正坐した状態でずさーとスライディングしてしまったのだった。
(なんでできたか その2 にツヅク)